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米軍演習場のヘリ基地に反対したら国にスラップを起こされた住民 [一般記事]

 那覇からレンタカーを借りて北東に向かい、3時間走った。海岸を離れて山道をうねうね進むと海と山、両方の匂いがする。道の両側はブロッコリーのようなこんもりとした樹木で覆われている。

「やんばる」と地元で呼ばれる亜熱帯のジャングルだった。この原生林に広がる「北部米軍演習場」は、密林での行軍、渡河や兵員降下を訓練する「ジャングル戦訓練センター」(Jungle Warfare Training Center)である。七八平方キロメートル面積は、山手線の内側(六三平方キロ)よりまだ広い。

 この、立ち入れない原生林と海岸線で囲まれた場所に「高江」という人口百六十人の小さな集落がある。集落を見下ろす山林を切り開いて、直径75メートルのヘリ発着場が六カ所建設されようとしている。既存の発着場で撮影されたビデオを見ると、プロペラ二機の巨大なCH-46が離着陸し、地上では会話もできない。パイナップル畑を海風が渡り、横でヤギの親子が無邪気に遊んでいる静かな農村にはむごい轟音に思える。

 住民は二〇〇七年夏ごろから建設現場の入り口前にテントを張り、工事車両や作業員が現れて工事を始めないか(工事は予告なしに始まる)、見張りを始めた。来ると携帯電話で集落から住民を呼び、現場入り口の前の県道に並んで立ったり座り込んだりした。作業を担当する国(防衛施設庁)の職員や車両は中に入れない。とはいえ「小競り合い」はあっても「衝突」が起きたりしたことはない。けが人が出たことも、刑事告訴されたこともない。

 ところが国は民事訴訟に訴えた。まず、住民や那覇市の自然保護団体ら十五人を相手取って「通行妨害禁止仮処分」の申し立てを那覇地裁名護支部に起こした。〇八年十一月のことだ。

 ところが、国からの裁判書類を受け取った住民たちは仰天した。国が国民を相手に民事訴訟を起こすというだけでも驚きなのに、仮処分対象に選ばれた十五人の中に、反対運動のリーダーの一人、安次嶺現達さん(52)本人だけでなく、八歳の娘や妻まで入っていたからだ。「現場にいた人と背格好や服装が似た別人」まで入っていた。ふだんは穏やかに話す安地嶺さんも、話がこの点に及ぶと憤りがあらわになる。

「八歳の娘まで裁判にされるんですよ。訴えにある日時には現場にさえいなかった。『こんなことをす
ると、家族も狙うぞ』という国の脅しにしか思えませんよ」

 さすがにこの仮処分申請は、裁判所が十五人のうち十三人を却下した。が、安次嶺さんと、もう一人の住民•伊佐真次さん(48)だけは運動のリーダーであるという理由で仮処分を認めた。そして国は今年一月、二人を被告に「通行妨害禁止」を求める本訴訟を那覇地裁に起こした。

 この提訴は「米軍に施設を提供している」立場の防衛施設庁=国が原告だ。「私人と私人の紛争を解決する手段」である民事訴訟の原告が国というのが奇異なら、国が税金を使って納税者である国民を訴えたというだけのもまた奇妙だ。

 しかも、訴状に記載されている代表者は「法務大臣 千葉景子」。つまり民主党政権が起こした訴訟なのだ。鳩山政権が普天間基地移設問題に取り組んでいるかのように耳目を引く一方で、別の米軍基地に反対する住民に民事訴訟を起こしていたとは幻滅した。

 私が那覇を訪れた七月二十三日、ちょうどこの本訴訟の3回目の口頭弁論が那覇地裁で開かれていた。朝十時の裁判所前の集会に間に合わせるために、住民たちは七時前に高江を出発した。弁護士たちも那覇市にいる。打ち合わせもすべて往復6時間だ。集まるのも大変だ。

「今も稲刈りでいちばん忙しいのに、片道三時間かけて来るんですよ。やり
たい仕事があるのに、できない」(安次嶺さん)

「弁護士費用は弁護団の好意で何とか助かっています。でも、こんな裁判、もともと嫌がらせ以外の何ものでもないじゃないですか。これこそSLAPPというんでしょう?」(伊佐さん)

 この「高江米軍ヘリ発着場訴訟」は、アメリカの法理である「SLAPP」(公的な意見表明を妨害するための民事訴訟)にぴったり当てはまる。

(1)ヘリパッド建設を推進する国=原告と、反対する住民=被告は「米軍ヘリ発着場の是非」という公的問題(パブリック•イシュー)の当事者である

(2)その公的問題についての批判や反対など、公的意見表明を契機に提訴される

(3)提訴によって、意見表明者に裁判コスト(時間や手間の消費、精神的•肉体的疲弊、弁護士費用など)という苦痛を与える。

 SLAPPがアメリカで危険視されているのは、憲法で保障されている「言論の自由」という正当な権利を行使しているのに、裁判コストという罰を加えられるからだ。その結果、被告にされた人たちのみならず、潜在的な批判者や反対者も恐怖を感じて発言を控える。かくして提訴は自由な意見表明を抑制し、憲法が保障する権利を侵害してしまう。

 この権利侵害を防止するため、アメリカ本国では一九九〇年代初頭から28州•地域で反SLAPP法が整備された。初めての反SLAPP連邦法もワシントンの連邦議会で審議中だ。訴えられた側が「この提訴はSLAPPだ」という動議を出し、裁判所が認めれば、裁判は三〜六ヶ月で棄却されてしまう。が日本にはSLAPPという法理も言葉もない。「不当な提訴なら裁判所が棄却する」という建前なので、審理が始まり、裁判コストが被告にのしかかる。

 もう一つの問題は「大きな公的論争が裁判上の論争に矮小化されてしまう」ことだ。高江の訴訟で争われているのは「X年Y月Z日に、工事現場前でPさんは通行を妨害したのかどうか」という論点だ。しかし、それと「高江にヘリ発着場を建設するべきなのか」「沖縄の米軍基地は現状のまま、あるいは増えてもいいのか」「日本の安全保障という国益に在日米軍はこれ以上必要なのか」という「公的な論争」にはまったく関係がない。仮に住民側が負けても「ヘリ発着場を建設してもよい」ことにはまったくならない。「SLAPP」という概念を提唱した法学者のジョージ•プリング教授はこれを「論点すり替え戦略」(dispute transfer strategy)と呼び、SLAPPの危険性として警告している。

 また提訴することで原告側は「裁判が係争中なのでコメントしない」と説明責任を回避できる。世論は「訴えられるぐらいだから、住民運動にも何か落ち度があったのだろう」と思い込む。訴訟に巻き込まれることを恐れて報道も沈静化してしまう。提訴は、何もかもが原告に有利に働くのだ。

 それにしても、反SLAPP法の先進国である米国軍隊の演習場整備のためにSLAPPが起きるとは皮肉の極みだ。この矛盾をどう理解したらいいのか、神奈川県横田基地にある在日米軍司令部に英文メールで問い合わせてみた。すると広報部名義(個人名なし)でこんなメールが来た。

「本件は係争中であり、また米国が該当者として関わっている件ではないことから米側からコメントを出すことは不適切であると判断致します」

「該当者ではない」という説明を受けて「日米地位協定から見てもおかしいのではないか」と協定の全文をつけて再質問したが、十月十九日現在返答はない。

(週刊金曜日)

上関原発 反対運動へ 中国電力が提訴した SLAPP訴訟 [一般記事]

上関原発 反対運動へ 中国電力が提訴した SLAPP訴訟

 私は原発否定論者ではない。だが「上関原発」の予定地の浜(山口県熊毛郡上関町)に立った時には「何で選りによってこんな場所に」とため息が出た。

 風と波が刻んだ渚は、山水画のように美しい。透明な海水の中を魚の群れがきらきらしているのが見える。コンビナートで埋め尽くされていると思っていた瀬戸内海に、こんなに美しい浜が残っていたとは知らなかった。

 山陽本線の「柳井港」から七十人乗りの定期船に一時間半乗って、原発予定地の対岸にある離島「祝島」に渡った。人口約五百人。都心の中型マンション一軒分くらいの人数だ。島に信号機はない。コンビニもない。自動販売機は二台。しかも一台は壊れている。午後五時着の船から人が降り、港から消えると、ぱたりと静かになった。

「げんぱつ、はんたーい」「はんたあーい」

 月曜の夕方だった。港のすぐそばの街路を、お年寄り、こども、イヌまでがはちまきをして「原発反対デモ」で練り歩いていた。いつからやってるんですか、と尋ねると、おばあさんが「雨の日を除いて二十八年間、毎週。てことは千回以上かね?」と涼しい顔で言った。

 本土から瀬戸内海にゾウの鼻のように細長く伸びた上関町で、原発予定地はゾウの鼻の穴の部分に位置する。そして祝島は「鼻先」にある。町内で原発を正面に見ながら暮らすことになるのは、祝島だけだ。町内が賛成派:反対派=6:4から7:3くらいで激しく競り合っても、祝島だけが反対でほぼ団結しているのは、こうした理由もある。受け取れば組合員一人あたり千三百万円弱が懐に入るのに、祝島の漁協は補償金約十億円を拒否している。

 こうして30年近く続いている「上関原発」反対運動に、事業主である中国電力が約四七九二万円の損害賠償訴訟を起こしたのは、昨年十二月のことだ。「反対運動によって工事が遅れ、損害が発生した」というのが中電側の主張する訴えの構図だ。被告になっているのは約八十人のうち四人。島民運動のリーダー格二人と、島で暮らしながら運動に参加している山口県と広島県のシーカヤッカー二人である。続けて中電側は、他の反対派住民も含めて海岸や周辺の海への立ち入りを禁止する仮処分申請を次々に起こした。 

 反対運動を警察や海上保安庁が逮捕したことはない。反対派は刑事告訴されたこともない。もし本当に「過激な反対運動」があったのなら刑事事件になるのが自然だ。

 民事提訴なら、刑事とちがっていつでも中電側が好きな内容で起こせる。刑事のような警察や検察が入らないので、内容にチェックもない。裁判所は民事訴訟が提訴されれば、書類の不備でもない限りそのまま審理を始める。それだけで、裁判コストは被告の上にのしかかる。

 祝島と本土の間は、一日に朝と夕方の二便しか定期船がない。裁判の法廷だけでなく、弁護士との打ち合わせですら、島民が通うのは大変な手間だ。

 私が島を訪れた八月下旬、ちょうど中国電力が起こした三つ目の仮処分申請を通知する書類が住民たちに届いた直後だった。被告になった住民たちは民家の一室に集まって夜六時から十時すぎまで対応を相談していた。

「私は長年やっているし、こういう事態を想定していたから、まだいいんです。でも応援に来てくれている人も含め、全体が弱気になって士気が下がるのが一番困る。運動の先頭に立っていてくれた人だけを狙い撃ちしていますから」

 被告の一人、漁業を営む橋本久男さん(58)はそう話す。

 訴えられた住民側から出る言葉は、意気軒昂に聞こえる。が、こうして対応に時間と労力を割かなくてはならないこと自体が、SLAPPの狙いである「裁判コストによる加罰」なのだ。当事者もなかなか気付かない。

 先号の「米軍演習場をめぐるSLAPP」では、提訴によって「在日米軍基地の是非」という「社会全体が議論すべき公的な問題」が「工事妨害はあったのか」という「裁判上の論点」に矮小化される「論点のすり替え」が起きていることを指摘した。上関原発訴訟でも同じ現象が起きている。

 中電側の訴状には「〇九年11月×日にP(被告)は作業クレーン船の作業をQして妨害した」といった「工事を妨害した事実」が書き連ねられている。が、例え中電側の訴えが100%正しかったとしても「上関町に原発を建設すべきなのか」「日本のエネルギー政策にこれ以上原発は必要なのか」といった公的議論にはまったく何の関係もない。「裁判所内の論争」にすり替えられてしまうのだ。しかもこれらの提訴事実はすべて原告が一方的に選んだ内容であり、意図的に原告に有利に組み立てられている。

 ところが、この裁判に負けると、被告である住民側が提起している「上関原発は必要なのか」という公的意見の正当性まで否定されたかのような印象を世論に与えてしまう。負けなくても、提訴されただけで「提訴された反対運動もよほどひどいことをしたのだろう」という偏見にさらされる。こうした「反対者•批判者の正当性を奪う」効果もSLAPP訴訟にはある。

 そのため、提訴された側は原告が選んだ提訴内容に反論、論破しなくてはならない。ビデオ写真を証拠提出して「工事妨害はなかった」「あっても適法である」と証明しなくてはならない。こうして被告側は疲弊し、消耗していく。

 こうした現象を「SLAPP」という法理を提唱したジョージ•プリング教授とペネロピ•キャナン教授は「事実争いの底なし沼」(fact quagmire)と呼んでいる。ここに反対者を引きずり込んでしまうこともSLAPPの構造なのだ。

「スクールバスのブレーキが故障している、子どもの送迎には危険だ、と親たちが教育委員会に改善を申し入れた。その親たちにバス会社が名誉毀損の裁判を起こした。そんなSLAPPが実際にありました」

 プリング教授は指摘する。

「しかし、裁判所にバスは直せません。バスの安全を確保することこそが公的な論点なのに、それは改善されないまま放置される。バスのブレーキの故障という本当の問題が偽装される。親たちの苦情の文言が名誉毀損かという馬鹿げた裁判上の論点にすり替えられ、被告はその反論を必死でしなくてはならない」

 SLAPPにはまだ悪影響がある。(1)時間、金銭など資源の無駄遣い。被告にとっても裁判所にとってもそれは同じ。(2)批判や反対を沈黙させ、民主主義にダメージを与える。(3)裁判制度というパブリック•システムへの信頼を損なう。プリング教授の指摘は日本で現実になっているように思える。

 そして、もっとも深刻なのは、裁判所への信頼が破壊されていることだ。上関原発訴訟でも沖縄の高江米軍演習場訴訟でも、意見表明の抑圧に民事裁判が悪用されているのに、裁判所は考慮しない。法廷外の裁判コストも考慮しない。最悪の場合は被告を敗訴させる。これでは「裁判所は憲法23条が保障する言論の自由を守らないどころか、破壊している」と認識される。裁判所が「民主主義の砦」どころか「敵対派」として機能してしまう。

「SLAPPを防ぐのは、被害者を守るためではない。民主主義を守るためなのです」(プリング教授)
 SLAPP訴訟の「本当の敗者」は「裁判制度」と「民主主義」なのだ。

(週刊金曜日)
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上関原発に投下される電源立地開発促進税は144億円 [このブログのために書き下ろし]

上関原発に投下される電源開発促進税の交付金は144億円と推定されています。

これは脱線ですが、上関原発が建設されると一号炉(計画は二号炉まである)だけで固定資産税が30〜40億円。これが人口3700人の上関町に入る。

これがどれほどすごいカネかというと、上関町の02年の歳入は38億7700万円。単年度の歳入とトントンまたは上回る税金が固定収入で入るわけです。

もっと言うと、上関町の歳入38億7700万円のうち「自分の稼ぎ」である自主財源はたったの7億8231万円です。後は国からの地方交付税や県の支出金、債権といった「他人のカネ」です。

つまり毎年の収入390万円のサラリーマンが、自分の稼ぎが80万円くらい、後は他人さまのカネ。1440万円のプレゼントと毎年300〜400万円の固定収入プレゼント。うわああ!笑

ちょっと例えてみましょう。

年収バイト代80万円の上関クンに 「1440万円何もしなくてもあげる」 「プラス毎年最高400万円死ぬまであげる」 「だから君んちに原発つくっていいかな?」 「大丈夫、絶対に事故なんかないって」 「漁業?もう働かなくてもいいから気にしないでいいよ」

というおはなしがきたら、どうする?

これは日本最大の「公営貧困ビジネス」ですね。迷惑料経済でもあるし。



出展/「原子力年鑑」2003年版 日本原子力産業会議

初出/ツイッター 2010年10月

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3.11 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]


最初に結論を言ってしまおう。

2011年3月11日午後2時46分を境に、この国は新しい時代に突入した。

後世の歴史家は、日本の歴史を「3.11以前」と「3.11以降」に分けて記述するだろう。

「何もかもが、これまでとは違う」。

そんな時代が来た。

いま私たちはそんな歴史的な大事件を目撃している。

「大地震」「大津波」「原子力発電所事故」と、ひとつだけでも「国難」級のクライシスが三つ束になって襲ってきたのだ。

これ以上深刻な危機は「戦争」しかない。

いや、戦争は人間が相手なので交渉可能だが、地震や放射能はそれもできない。もっと厄介かもしれない。

少しだけ立ち止まって、この最大級のクライシスから学べる教訓を考えてみた。

たくさんあった。

そのひとつは、私たちの政府、官僚、政治家、マスコミといった、この国の「ベスト&ブライテスト」たちの振る舞いだ。

最大級のクライシスに対処する中で彼らが見せる実績こそが、この国のトップたちの「ベスト記録」であることを覚えておいてほしい。

どんなにがんばったって、彼らには「これ以上の力」は出ない。

いま私たちが見ている政府や官僚、マスコミ報道の姿が彼らの全力の実力なのだ。「次はもっとがんばります」と言い訳しても「次」はもうない。

そんな「最終実力テスト」で見えた問題はあまりに多い。

市民を混乱させるだけだった政府の秘密主義。
「想定外」といいながら「原発の全電源喪失も水素爆発も想定していなかった」と「無想定」だった東京電力。
そんな政府や電力会社を問う意志や能力に欠けた報道の無能ぶり。

被災地で唯一の情報源だったかと思えばデマが嵐のように吹き荒れ、信じていいのかどうかもわからないカオスだったインターネット情報。

ここで指摘しておきたいのは、政府が露骨な「new speak」政策を堂々と展開したことだ。

ニュースピーク」とは ジョージ・オーウェルが小説「1984」の中で使った言葉だ。「政府にとって都合の悪い事実を、耳当たりのよい言葉を造語してすり替える」行為を指す。

アメリカ政府や軍はこうしたニュースピークの常連である。「collateral damage」(付随的被害)とは「軍の攻撃に非戦闘員の市民が巻き込まれて殺傷されること」。

「friendly fire」(友好的攻撃)は「間違って味方を爆撃してしまうこと」だ。

そういえば、旧日本軍が「撤退」「敗退」を「転進」と言い換えたのもニュースピークの古典例だ。

3.11クライシス以降、日本政府が「ニュースピーク」をあまりに堂々とやり続けるのには愕然とする。

例えば、もう流行語というかジョークにまでなっている「計画停電」という言葉。

これは地震と津波、原発暴走という東京電力にとって制御できない事態によって多数の発電所(火力含む)がダウンし、発電量が電力需要に追いつかなくなった事態を指す。

つまり「制御不能」が実態なのだ。

ところが東京電力と政府は「停電区域を計画的に回す」という最後の一部だけをピックアップして「計画停電」と強引な造語を流布してしまった。

これは「首都圏停電」という最悪の事態を招きながら、それでもなお「秩序は保たれている」「制御下にある」と事実をごまかす「プロパガンダ」以外の何物でもない。

また福島第一原発の建屋が水素爆発で粉々に吹き飛ぶ映像がさんざん流れたあと、枝野幸男官房長官が使った「爆発的事象」という言葉も悪質だ。

あの映像はどう見ても「爆発」だった。当時は、同原発が「炉心」→「圧力容器」→「格納容器」→「建屋」と三重の防御があることすらほとんど報道されていなかった(吹き飛んだのは一番外側の『建屋』だけ)。

「原子炉そのものが爆発したのではないか」「チェルノブイリ原発事故のような放射性物質が大気中にまき散らされるのではないか」というパニック寸前の恐怖が充満していたさなかである。

そこにあえて「爆発」ではなく「爆発的事象」という薄めた言い方をすれば、不安は倍増する。

「なぜそんな聞いたことのない言葉を使うのか」
「事態を軽く見せたいのではないか」
「何かもっと悪いことを隠しているのではないか」
「現実はもっと悪いのではないか」
という疑心暗鬼が飛び交った。パニックが起きなかったのは奇跡だ。

こうした政府や東京電力のニュースピークに「なぜ?」と問いかけることをしなかった報道も罪が深い。

結局ニュースピークを拡散させることに力を貸しただけだった。

3.11における政府、官僚、マスコミ企業の行動も、後々じっくり追求しなくてはならない。

謙遜文化の衰退 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

以前にこの欄で「インターネット出会いで結婚する人が増えている」という話を書いたら、けっこうあっちこっちで反響を呼んだらしい。

しかも妙齢の女性の間で。

「えっ!そんなにいいものがあるの!」ということだそうです。

はい、そうらしいですよ。

しかも、交際から結婚に至るまでの時間が短いとか。

それはインターネットが「内面の個性を可視化する」という機能を持っているからではないか、という話を書いた。

インターネットがなかったころ、交際相手の好みの音楽、映画、趣味、価値観など「内面の価値観=個性」を知るには、時間がかかった。

古い世代だと、相手の内面を知るのに一生をかけていた。

その「相手を知るプロセス」こそが「交際」であり時には「結婚生活」だった。

それがブログやミクシィ、ツイッターなどで一気に可視化された。それが私の推論だ。

「内面の個性の可視化」といっても、難しい話ではない。ちょっとミクシィでも開けてみてほしい。

参加しているコミュニティが「ハーレーダビッドソン」なのか「くだらないことで頭がいっぱい」なのか「ペ・ドゥナを讃える」なのか「カーミット」なのかで、その人の「好み」「趣味」「嗜好」「価値観」がわかる。それが公開されている。

コミュニティでもブログでも同じなのだが、ネット上で可視化された「内面の価値」は、全部フラットに等価である。

写真、文章、ビデオ、イラスト、デザインなど、あらゆるビジュアル要素が動員されるので「地味」だったはずの趣味嗜好でも、非常に魅力的に提示されるのだ。

例えば、私が20歳代前半だった25年前、「お城」「新撰組」「百人一首」など「歴史もの」の愛好家といえば、地味な人たちだった。「鉄道」「オーディオ」などのマニアもそうだった。

異性に人気のある趣味嗜好といえば「スポーツ」とか「クルマ」とか「かっこいいことがそのまま見てわかるもの」=「アナログに可視化されていたもの」だったのだ。

それが今では、かつての「地味な内面」も「派手な内面」も、ネットの上ではフラットにイコールである。

昨年、坂本龍馬を福山雅治が演じたNHKドラマの大ブームは、こうしたネットで「可視化・イコール化された歴史マニア」の成果だったように思える。

さらにネットには「コミュニティ」を形成する機能がある。

つまり「同好の仲間」を見つけることができるのだ。

スポーツやクルマといった旧来型の可視的嗜好には、部活動とか暴走族とか伝統的なコミュニティがあったが、地味な趣味嗜好は仲間を見つけることがまず難しかった。

地味な趣味は目立たず、仲間も少なくひっそりと営まれていたのだ。

それが一気に転換、地味な趣味でも仲間は集まる。

数まで明示されるから「少数派」なのかそうでないのかも数値化されてしまう。

「バスケットボール部のキャプテン」と「天守閣マニア」と、どちらが存在感があるのかといえば、昔のように「バスケ」と即断はできない。

ちょっと視点を変える。

こうしたインターネットの持つ「可視化」の機能が、日本の伝統的な価値観とは真逆の方向性を持っていることにお気づきだろうか。

例えば「謙遜」は日本の伝統的な精神文化として長く価値を保ってきた。その核心は「自分の力をひけらかさない」=「内面の価値は他者によって発見されるべきもので、自ら外部に露出させるのはみっともない」という発想だ。

この定義からわかるように、この価値観は元々「自己表現」とは正反対のベクトルを持っている。

ましてインターネットがもたらした「内面を可視化して掲示する文化」は、こうした「秘めてこそ花」の謙譲/謙遜の文化からすれば、まったく異質以外の何ものでもない。

かくして、これまで「ひっそりと目立たなかった集団」が、インターネットのブログやSNSでその存在をそれぞれに主張し、まさに百花繚乱の有様である。

これは悪いことでは決してない。

これまで「日陰者」だった価値集団もが、ネット上ではフラットにイコールな集団として存在感を放つからだ。

例えば、性的少数者。ネット上では動画、写真、イラストなどをふんだんに用いてその内面の個性(性的指向、性同一性障害など)を美しく掲示している。

こうした「非差別者が日陰から飛び出す現象」も「謙遜の衰退」も、実は「インターネットというメディアが起こした社会文化の変革」という点では同じものなのだ。

女子会はなぜ流行る ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]


女性だけの「女子会」って飲み会とか温泉旅行とかプライベートな集まりだけの話かと思ったら、実は異業種交流会だとかけっこうプロフェッショナルな場にも広がっているのだそうだ。

まあ、ポジティブに考えることもできる。

様々な「異業種」に「女性キャリア職」がいるから「交流」できるのだ。

キャリア女性の層が厚くなり、円熟してきたということだ。いや「キャリア女性」など当たり前すぎて、言葉そのものが死語かもしれない。

とはいえ、そこまで楽観的にもなれない。

職業の世界に「性差」を軸にしたグループができるという現象は、まだ「性別」を「差」として意識せざるをえない現実があることを意味する。

男性の職業団体は成立しない。

なぜなら、日本では女性はまだ「差別される側の集団」だ。少なくとも女性たちはそう認識している。そうではないのか。

思い出してほしいのだが、女性はついこの間まで(あるいは現在でも)日本社会最多数の被差別グループだった。

能力が同じでも、女性であるというだけで、雇用はおろか、昇進や昇級まで男性より劣った待遇をされ、それが社会的にも法律的にも許されてきた。

それが「違法」になったのは男女雇用機会均等法が施行された一九八六年のことにすぎない。

私はその年に大学を卒業したので、個人的経験としてはっきり記憶している。

それまでちょっと上の世代では「オンナに(高等)教育はいらない」「大学や会社に行くより花嫁修業」などなど、タリバーンの支配国のような「常識」が堂々と通用していたのである。

こうした「被差別者」としての社会的地位はアメリカの「マイノリティ(少数派)グループ」(女性のほかアフリカ系、アジア系など非白人、同性愛者など)に似ている。

アメリカに行くと「東アジア系法律家」「ゲイの経営者」といったマイノリティグループごとの職業団体があり、ネットでリアルでネットワーク作りと情報交換に励んでいる。

差別問題が持ち上がれば政治圧力をかけたり寄付金を集めたりもする。

つまり経済や政治権力を握っている「主流派」(アメリカなら白人男性。日本なら成人男子)に対抗するためには「差別される側」は団結するのが資本主義国の現象なのだ。

日本でも、女性が職業人として早くから活躍した分野では「プロフェッショナル女子会」が昔からあった。

弁護士、裁判官、検事など女性法曹職が集まる「日本女性法律家協会」が設立されたのは一九五〇年のことだ。法曹家は試験にさえ合格すれば、男女の差別がない「資格職」の古典的な例である(他には公務員、教師、記者・編集者がある)。

その雇用機会均等法施行の1986年に大学を出て就職したのが、まさに私の学年。「均等法一期生」である。

私は48歳だから、企業なら課長や部長くらいだろうか。

つまり今も50歳弱から上の世代は均等法を知らない世代なのだ。

中間管理職以下は「ポスト均等法世代」なのに、社長や取締役などデシジョンメーカーは「プレ均等法世代」。「女性を働き手としてどう迎えるか」という感覚では、旧世代と新世代が混在しているのが日本の企業の姿なのである。

こうした環境では、キャリア女性は成功したとしても、ある疑念に悩まされ続けることになる。

どんなにがんばっても「自分から女性という要素を取り除くと、どれくらい働き手としての実力があるのだろう?」と評価が定まらないのだ。

「企業が女性差別をしていないと見せたいから、私は昇進したのか?」
「女性管理職が必要だから私は昇進したのか?」
など「オンナだから××できたのだろうか」というノイズが自己評価に絶えず混入するのだ。

これは悩ましい。

女性であることを取り除いて勝負することは不可能だからだ。

つまり、その簡単な解決法が「同じ性別だけの集団に入ってみる」つまり「女だけの職業グループ」に参加してみることなのではないか。

「女性同士だと評価が情け容赦ない」とよく言われるのは、案外そんな理由なのかもしれない。

ポスト均等法世代が定年を迎えるのは12年後だ。

ということはあと10年余りで企業の中はポスト均等法世代だけになり、社長や役員も新世代だけで固められるかもしれない。

その時には「女子異業種交流会」などする必要もないほど、性差別がなくなっているといいのだけれど。

ネット結婚、世界的に増殖! ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

二月にアメリカに取材に行ったとき、 インタビューした60歳の女性社会学者が「最近、カレシができたの」とうれしそうに話すので「へえ、どこで出会ったんですか」と聞いた。

すると躊躇なく「インターネットよ!」と笑顔で答えた。

「日本じゃ、まだ『ネットで出会った』とは言えないみたいですよ」
「まだ社会的に恥ずかしいことなの?」
「アメリカは違うんですか?」
「今じゃ、もうスタンダードね!」

最近、私の周囲ではネット、特にソーシャルネットワークサービス(SNS)で知り合った相手と結婚する人が増えている。

私のフェイスブック友達アメリカ人女性アイラは、やはりフェイスブックで出会ったイギリス人のスティーブと結婚、オクラホマからイギリスのバーミンガムに引っ越してしまった。

どこで知り合ったんだと聞いたら「フェイスブックで」という。

メッセージを交換するうちに、音楽や映画、ジョークのセンスが合うので仲良くなり、電話(もちろんスカイプ)で大西洋をはさんで話し合うようになった。

そして彼女がイギリスに旅して対面した時にはもう、恋に落ちていた。

古城で赤のウエディングドレスを着て、ヒュー・グラントみたいなスティーブの隣で微笑むアイラのウエディングフォトもフェイスブックで見た。

「できすぎ」な話だが、二人は仲良く暮らしている。

アメリカ人だけではない。私の友達のライター日本人男性は、ミクシィのコミュニティで出会った女性と結婚して、この間子どもが生まれた。

アメリカ発の「まじめな」出会いサイト「match.com」(その名も『出会いドットコム』だ)で知り合った日本人同士が三ヶ月でつきあい始め、一年後に結婚してしまった例も知っている。

そのうちにネット結婚もごく当たり前になり「新郎新婦はヤフーで巡り会われました」と結婚式でアナウンスされる日本人夫婦も増えるだろう。

ネットで出会って結婚したカップルを見ていると、みんな出会ってから結婚するまでの日がものすごく短い。

一体どうしたことかと思って聞いてみると、だいたい話が一致している。

フェイスブックでは大好きなアニメやコメディ、写真をYouTubeからのリンクで見せ合うことができるし、好きな音楽を鳴らして教え合うこともできる。

ミクシィなら「エルモ」のファンコミュニティで知り合った、「くだらないことで頭がいっぱい」というギャグコミュで等等。

要するに最初から「共通の趣味/感性/価値観」というのがウエブ上に掲示されているのだ。

私はこういうウエブサイトが可能にした自己表現を「内面の個性の可視化」と呼んでいる。リアルの世界での外見からはわからない内的属性が、ブログやSNSではわかりやすく見えるようになっているのだ。

昔ならこういう「個性が可視化されている」のは運動部系やバンド系だった(だから、そういう人はだいたいモテた)のだが、

歴史マニア女性=「歴女」だとか
「鉄道マニア」=「鉄ちゃん」だとか、

昔は「地味」でモテなかった個性までが市民権を獲得してしまった。

これは「歴史マニア」や「鉄道マニア」がブログなどで自分の個性を美しく可視化できるようになったことが大きな原因だと思う。

もともと「social network」は「友達づくり」という意味だ。

日本語では”society”は「社会」と翻訳されるが、英語では「社交」「人付き合い」「仲間」に近い。

現実のパーティーやサークル活動から恋に落ちる男女が生まれるように、SNSが「出会いサイト」になっても、ごく当然かつ自然である。

そのSNSに「個性の可視化」という特性が加わった。

デジカメやビデオカメラ、そしてその受け皿である写真ブログやYouTubeが世界規模で普及し「個性の可視化」が急速に大衆化したせいである。

昔なら、つきあい始めた相手が「どんな内面の持ち主か」を知るには時間がかかった。

相手の部屋に遊びに行き、昔のアルバムを見たり、一緒に音楽を聴いたり、カラオケを歌いに行ったりという「内面の個性」を知るプロセスこそが「恋愛」「交際」「デート」だった。

今の高齢者世代の見合い結婚夫婦などは、相手の内面を知るのに「一生」をかけていた。
結婚生活そのものが「内面の個性を知る」プロセスだったのである。

しかし、ネットで出会ったカップルはまったく逆のプロセスをたどる。

まずは内面の個性を先に知り、それからリアルの交際を始めるのである。

だから、リアルに出会った瞬間には「昔からあなたのことを知っていたような気がする」という感覚を味わう。

おおネット結婚万歳! いやいや、まだわからない。

そういうカップルが一緒になってまだ日が浅いので、何年か経つとどうなるのか、まだサンプルがないのだ。

インターネットの不自由元年 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]


今年2010年は日本のインターネットにとって暗い年になりそうだ。

インターネット上での発言に刑法の「名誉毀損罪」が適用され、逮捕・起訴される人が続いたからである。

つまり、ネットに書いた内容が原因で留置所(あるいは拘置所)にぶち込まれ、家を捜索され、法廷に立たされる時代が来たのだ。

一人はブログを書いた65歳男性、

もう一人は2ちゃんねるに書いた大学生だ。

私は二つの事件を取材して裁判も傍聴している。

「これで逮捕されるなら、もっと逮捕者は拡大するだろう」と思った。

ブログで逮捕されるなんて、何だか戦前の思想統制時代のような話だ。

65歳男性の方は、勤めていたマンション会社の経営批判をブログで書き続けていたら、その会社が警察に被害届を出し、逮捕された。

「給料のピンハネ」とか「偽装請負」とか多少言葉遣いは乱暴だし、イラストその他デザインは悪趣味だ。

確かにそれはそうだが、それが逮捕しなければいけないような「犯罪」なのだろうか。

しかも、その人が批判している内容というのが、その企業が労働基準監督署から是正勧告を受けた話や、新聞が報道した話だ。「根も葉もない話」ではない。

もう一人の23歳の男性大学生は「2ちゃんねる」に参議院選挙の候補者(とその家族)の悪口を書いて逮捕された。

しかし、その悪口というのが「売春婦」とか「鬼畜」とか「変態」とか、下品すぎて逆に「子供のイタズラ」か「落書き」程度だとすぐにわかる。

書かれた本人は不愉快だろうが、ばかばかしすぎて第三者は真剣には取らない。

裁判を取材に行ったら「被告」は野球少年みたいな丸刈り・眼鏡に紺ブレザー、白スニーカーの「男の子」で、どんなにおかしな悪人かと思ったら拍子抜けもいいところだった。

裁判官や検察官を前に「まさか逮捕されるとは思っていませんでした」と縮み上がっていた。

これまで刑法の名誉毀損罪で逮捕されるというと「浮気をした愛人の裸の写真をビラにして自宅の周辺に撒いた」とか「私人同士のトラブル」が多かった。。だが、上場企業や国会議員候補者は自ら名前が知られる活動をしている「公の存在」だ。

批判や検証、あるいは「落書きのネタ」にされるのは避けられない。逮捕・起訴するにしても根拠が薄弱すぎるのだ。

どうして今年になって、ネット発言で逮捕などという危険な領域に警察や検察は踏み込むようになったのか。

そう考えて思い当たったのが、今年3月に確定した最高裁判決だ。

「あるラーメンチェーン店の経営陣がコリアンや同和系に差別的なカルト団体とつながりがある」。あるブロガーが調べてそう書いた。

書いてあることはほぼ事実なのだが、ラーメン会社は民事と刑事両方でブロガーを訴えた。

一審無罪、二審有罪と攻防が続いたあと、最高裁で罰金30万円の有罪判決が確定。

ブログの発信による誉毀損罪有罪が最高裁で確定したのは初めてだ。

地裁・高裁の判決は最高裁判例の拘束を受ける。

つまり「刑法の名誉毀損で逮捕・起訴しても、有罪に追い込める」というお墨付きを警察や検察に与えてしまった。

上記のマンション会社事件が摘発されたのが二ヶ月後の5月。

2ちゃんねる事件の摘発が同じ7月だ。

これは偶然ではないだろう。

匿名なら、誹謗中傷や脅迫を書いたりいじめや「炎上」を起こしてもバレないという誤解がネットユーザーにはある。

が、ネット専門家の弁護士に聞いてみると「いまネット上の匿名は事実上存在しないのと同じ」という答えが返って来た。

02年に施行された通称「プロバイダ責任制限法」で、ブログのコメントやBBSに書き込まれた匿名発言者の身元を調べることができるようになったからだ。

プロバイダが拒否して裁判になったときの判例も蓄積ができて、今では、身元を隠すための特殊な技術的偽装をしない限り、発信者の住所氏名は遅かれ早かれわかるようになっている。

インターネットがらみの事件が急増しているため、警察や裁判所は事件を抑止したがっている。被告の扱いは厳しい。告訴・告発されると、まず助からない。

そもそも、逮捕・勾留・家宅捜索など強制捜査を発動できる「名誉毀損罪」が今でも必要なのか。

問い直した方がいい。

刑法の名誉毀損罪は、戦前の旧刑法から「堕胎罪」(刑法の上では今でも妊娠中絶は犯罪)などと同じように横滑りしてきた条文だ。

コピー機すらなかった時代にできた法律なのだ。

現在のようなマスメディア、特にインターネットなどまったく想定していない。

そんな法律が放置され、ネットユーザーはその恐ろしさを知らないままになっている。あまりに危険だ。

音楽はタダになる ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

8月22日にレコードストア「HMV」渋谷店が閉店したのはニュースでご存知かと思う。

私もテレビ局のインタビューを受けたので「個人的には寂しいですね」などと社交辞令を言っておいた。

が、正直言うと、リアルの店舗ではもう何年もCDを買っていない。

ほしいCDは家のパソコンからアマゾンで買うし、

買うほどでもないものはYouTubeで無料で聞く。

同店で「渋谷系」が生まれた90年代前半の「青春の思い出」を別とすれば、閉店しても特に不便はない。

「リアルの店舗でCDを買う」という習慣が死滅していく原因は、間違いなくインターネットのせいだ。

しかし、それはレコード業界が言い張るような「違法ダウンロード」のせいではないし「ファイル交換ソフト」のせいでもない。

簡単にまとめてみよう。

(1)「CD不況」ではあるが「音楽不況」ではない。

CDは売れなくなったが、音楽業界に入るお金はまったく変わらないどころかむしろ増えている。着メロ、iTuneなどインターネットによって音楽業界に流れるお金は増えている。JASRACの統計を見れば一目瞭然だ。

(2)いま音楽を無料で消費者に届けている最大のメディアは「違法ダウンロード」や「ファイル交換ソフト」ではない。YouTubeである。

いまYouTubeを検索すれば、ビートルズやエルビスのテレビ画像から由紀さおり、AKB48に至るまで、私のような音楽マニアでも「出てこない画像」はないと感じるくらい豊富なコンテンツが流れ出す。
その種類の多さ、検索の精密さ、家にいながら未知の音楽に触れることができる便利さ。CDストアどころか、どんなラジオやテレビも太刀打ちできない。
「世界中よってたかってつくる巨大なリクエスト式音楽図書館」が家にあるようなものだ。
ここまで来ると「音楽のオリジナルを所有し、消費者にそのコピーを売って料金を取る」という現在の音楽ビジネスはもう終焉に近づいていると考えるのが自然だ。
早い話「音楽は間もなくタダで聞くのがコンセンサスになる」というのが私の正直な予測だ。

こういうと音楽業界の人たちはカンカンに怒るのだが「技術革新の結果、それまでは生活必需品だったものがある日突然無価値になる」という現象は、技術史的には珍しいことではない。

自動車が発明されたときの馬、電気と電球が発明されたときのランプやロウソクなどを思い起こしてほしい。

かつて電気や電球が普及するまで、家庭に「灯り」を点していたのはランプやロウソクだった。家庭の近くにはランプ・ロウソク店、ランプ燃料店があって「灯り」は家庭の近くで買うものだった。

しかし「電気」という新しい技術が普及した結果、電気は「どこか遠くの発電所でまとめて発電して送られてくるもの」になり「どこの発電所でつくられたのか」など誰も気にしない。

つまり「照明」というエネルギーの供給源は「それぞれの家庭近くに散らばっている」(ランプ油店)から「どこか遠くの一カ所に集中している」(発電所)に状態を変えたわけだ。

かつて世界にいくつくらいのランプ油店があったのかわからないが、それが「電力会社」に取って替わられ「照明エネルギー販売会社」の数が劇的に減ったことは間違いない。

この産業構造の転換を音楽に当てはめてみればいい。

音楽は「どこか遠くの」「数の少ない」「発電所のような集中型の貯蔵所から」「インターネットという送電線を経由して」消費者に送られてくるものになる。ランプ油への需要そのものがなくなるので「ランプ油店」(レコード店)も消滅するし「ランプ油生産者」(レコード会社)も廃業である。

音楽は、どこかアメリカかヨーロッパにある巨大なサーバーコンピューターに貯蔵され、こちらから注文すると送信されてくる。少数の「電力会社」が「電気料金」で収益を上げる。そんなビジネスモデルになるだろう。

こうして見ると、音楽のインターネット流通は限りなく「ネット放送局」に近づくのにお気づきだろうか。

数千~数万枚というレコードライブラリー(今まではラジオ局や家庭にあった)は、発電所のように世界に何カ所かあればよい。一般家庭は、送電線で電気を受け取るように、インターネットで音楽を聞く。

このビジネスモデルに近い動きをしている代表がYouTubeだ。インターネットという電気に匹敵する技術革新に鈍感な日本企業は、悲しいほど出遅れている。

ネット監視社会 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

待望のiPadが発売になった当日、東京・銀座のアップルストアに飛んで行った。

だが甘かった。まったく完全に売り切れ。

予約してもいつ入荷するか分からないという。

紺のシャツの店員に食い下がる。

「きょう予約したら、いつごろ入荷しますか」。

が、お兄さんはまったく取りつくシマもない。

「確かなことはいえません」
「1週間くらいですか」
「言えません」
「1ヶ月くらいですか」
「それもわかりません」。

これでは何が何だかわからない。「いえ、正確な日付でなくていいから、どれくらい待つのか、週単位なのか月単位なのか知りたいだけなんですが」と言うと、彼はふうとため息をついて「何もわかりません」と突き放した。

イライラしてふと振り向くと、後ろの壁際にiPadを受け取りに来た客が並んで待っている。手にiPhoneを握り、一心不乱に入力している画面がちらりと見えた。

Twitterだった。みんなiPad発売初日の様子を実況中継しているのだ。

なるほど。アップルストアの店員が東京地検みたいに秘密主義的な理由が分かった。

何か不用意なことを言うと、すぐにtwitterで(場合によっては写真動画付きで)流れてしまうのだ。

それが本社の発表の公式見解と食い違えば、彼はたちまち呼び出されて叱責されるのだろう。

「銀座のアップルストアでは××だと言っていた」とクレームが入ったりするかもしれない。

これは要するに群衆の中にテレビの取材クルーが常時覆面取材しているようなものだ。

私たちは知らないうちに、携帯端末機(それも高解像度の写真・ビデオカメラ付き!)とインターネットという速報マスメディアで武装した「マスコミ記者」たちに包囲されてしまったのだ。

特にブログやtwitterが普及してから、この傾向は加速しているように感じる。

もちろん、いいこともある。

いや、いいことの方が多い。

1999年「東芝」のカスタマーサポート担当者の暴言がネットで公開されて大問題になってから、あきらかに企業の顧客への態度はよくなった。

〇八年には、渋谷の街頭で、何も違法行為をしていない麻生太郎邸の見学者を警察が突然逮捕する一部始終が録画され、YouTubeで配信された。

秘密のベールに包まれてきた公安警察のムチャクチャな捜査手法が天下に知られてしまった。

いつ、どこにマスメディア発信者がいるかわからない、という状況では、警察(=権力はすべて)も慎重にならざるをえない。

白バイや職務質問のオマワリさんがずいぶん礼儀正しくなったように思えるのは気のせいではないだろう。

しかし、と敢えて言う。

これは裏返せば「監視社会」ではないのか。

私たちはいつの間にか、いつどこで自分の姿が記録され、大多数に公開されるか予測ができない世界に生きている。

そうなる可能性を念頭に置いて行動せざるをえない。

この世界を「自由なバラ色の世界」と呼べるのだろうか。

「マスメディアへの発信」という「権力」を手にした人々がどういう行動に出るのか。

接客態度だかお勘定だかが気に入らないとか言って、客が店員の顔を携帯カメラで撮影し、YouTubeにアップした画像をいくつも目撃したことがある。

「権力」は弱い者に牙をむくのだ。

もうひとつ暗いシナリオがある。

いま猛烈な勢いで増えているのはブログなどネットでの情報発信への民事提訴、刑事告発である。悪徳商法を告発するブログを運営していたら、民事訴訟を起こされたブロガーがいる。

「あるラーメンチェーン店の経営者と人種差別的なカルトはほぼ重なっている」とブログに書いた「平和神軍観察会」ブログは、刑事と民事両方で訴えられ、今年二月に最高裁で罰金15万円の有罪判決が確定した。

新聞も一斉に「中傷書き込み、有罪」とネット発信者を非難する論陣を張った。

新聞や裁判官といった保守層は、ネットの言論には敵対的であり、冷酷である。

「裁判沙汰」になったら、こんな世界が待っている(私はこうした発信は憲法が保障する言論の自由の範囲内だと考えている)。

そのリスクを理解したうえでネット発信している人はまだ少数だろう。

だが、いま私たちが「加害者」として裁判に巻き込まれる可能性がもっとも高い世界は交通事故とネット発信だ。

私は、いまインターネットが日本の社会に起こしている変革を心から喜んでいる一人だ。

だが、原子力エネルギーが核兵器を生み、ロケット技術がミサイルを生んだように、あらゆる技術革新には正負両方の顔がある。

インターネットも、例外ではない。その単純な事実を忘れてはならない。

現実の行動規範がネット化する ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

この夏新発売のケータイのカタログを見ていたらauは全機種が防水だった。

若い世代はお風呂に入っていてもずっとケータイでネットしているからだそうだ。

学校やサークルの友達でも、リアルに対面で話している時のコミュニケーション量より、メールやチャット、SNSで交流しているときのコミュニケーション量の方が多い。

もう驚きもしない話だ。

私は10年以上、マスコミ志望の大学生に作文や面接のコーチングをしている。

大人数ではやりたくないので、紹介で知った3、4人に自宅まで来てもらい、居間で文章の添削をしたりする。

「作文」をはさんで、間近に若者と話し合って気付いたのは、彼らがどんどん「感情表出」に抑圧的になってきていることだ。

「何にでも挑戦していきたい」「私は明るく前向きだと言われます」的な、無難な「決意表明」はスラスラ書くのだが、それでは個性も独創性もないから、入社試験では生き残れない。

そこで「自分の一生を変えた体験を書いてごらん」と課題を出すと、例外なく戸惑う。

ずっとクールな表情で「サークル活動で学んだこと」を書いていたギャルが「中学生のときに先輩に仲間はずれにされて死のうと思った」と書いた。

読んでもらったら、眼前でオイオイ泣き始めた。

そういう体験こそ個性だと私は思ったが、本人は「感情的になってすみません」と恐縮し切っている。

いろいろ聞くうちに気がついた。

家族や友人といった対人関係の中で「感情表出」をほとんど許されてこなかったのだ。

悲しいからワンワン泣く。
悔しいから、腹が立つから怒る。
楽しいからアハハと笑う。

感情表出は人間の自然な行動だ。

感情の抑圧が心身の健康を害しさえする事実は、臨床心理学が証明している。

古来、日本の社会文化はそんな感情表出を「人情」として社会的に受け入れていた。

「義理」(理性的な社会規範)と対等の行動原理として「感情」を認めてきたのである。

他者と怒りや悲しみ、悔しさを共有することは、それだけで他者を「特別な存在」として認知する行為でもある。

もともと日本の教育文化(学校、家庭、社会すべて含め)は感情に抑圧的(勉強中に笑うと不真面目と見なされるのはその例)なので、安直にその原因が何だとは言えない。

その前提で敢えて言うのだが、若い世代の対人関係の構築の中でインターネットの比重が増えるに従って、ますますこの傾向は加速していると思う。

当たり前のことだが、メールやブログ、SNS上のやりとりで感情を正確に伝えることは非常に難しい(だから顔文字や絵文字が発明された)。

よってネットでのコミュニケーションで感情を表現することはリスクが大きい。

正確に理解され、伝達されることは不可能に近い。

誤解と悪意、ミュニケーション不全が重なって爆発した最悪の結果がブログの「炎上」であり、ネットいじめ、バッシングである。

こういう現象を見ている若い世代が、ネットでの感情表出に抑制的にならない方が不思議だ。

ここで問題なのは、こうしたネット上での行動規範が、リアルな大人関係にもそのまま無意識に持ち込まれることだ。

冒頭で述べたように、リアルな友達であっても、交換される情報量の大半がネット経由だと、その人間関係はネット上での規範をそのまま反映することが多い。

分かりやすくいえば「リアルの世界で対面していても、怒り、悲しみ、悔しさ、喜びなど感情を表出し、共有することを知らず知らずのうちに遠慮してしまう」という現象だ。

これは「現実の行動でもインターネット空間の規範に従ってしまう」=つまり「現実世界のインターネット化」だ。

過去にこの欄で「テレビアバター」の話を書いたとき、現実の行動がテレビという仮想現実の行動規範を模倣し始める「現実のメディア空間化」が起きているということを指摘した。

これにインターネットというもうひとつのマスメディアを加えてみるといい。

現実は「テレビ空間化」し「インターネット空間化」している。

つまりダブルで「メディア空間化」している。メディアと現実の関係はますますねじれ、逆転しつつあるのだ。

台所ちゃぶ台より我が心千里を旅してパレスチナラップに至れり [週刊金曜日連載ギャグコラム「甘えん坊将軍」]

 やれやれ国賊アカ雑誌だとか編集長はハゲだとか暴論暴言を重ねた報い、ついに連載スペースを半分にされ申され候。ああ狭いよう。

 もはや我が国の民主主義は死せりと自暴自棄、もう日本は駄目だこれからは世界進出だと宇多田ヒカルみたいな世迷事を述べ公務放棄、食堂卓袱台に置きしノートブックを操作•ひたすら英語フェイスブックに耽っておりました土曜ののんきな昼下がり。

 おおチャットのお誘いが来た音がポコンと鳴った。て、マジド•アブサラマてあんた誰やねん。

 ハロートウキョウ、元気ですか→はい〜元気ですよ〜→僕はガザに住んでいるパレスチナ人です→おお僕はイスラエルに行ったことがあります→本当ですか?日本人はあまりガザに関心がありませんね→そんなことないですよ〜→僕は日本人ジャーナリストの取材を手伝ったことがあります

 とチャットしながらわたしゃマジドくんのフェイスブックプロフィールを見に行って、彼が若い写真家であることを知悉した次第。

 おおええ写真撮りますなあ。なるほどわしを職業検索で見つけたのだねマジドくん。

 ガザの隔離壁建設を報じるニュース動画もYouTubeからリンクされているし見ます。うううこりゃひでえな。ナチが作ったワルシャワゲットーみたいやんか。

 この壁はひどいですなあ→ひどいでしょう?隣の村に行くのに四時間かかるんですよ〜ホントうんざりです。そのことを歌っているラップバンドがいるんですよ→なななななぬ〜!でバンド名は?→あ〜ブラックなんとか。

 ってここで私はミュージシャンの標準サイトであるmyspaceをガザ、ラップ、ブラックで検索してアラビア語のラップバンドBlack Unit Bandにたどり着いた。

 ほわあかっちょええ。アラビア語はさっぱりわからんがちゃんとグルーブしてまんがな。これ?そうです!って、ここまでチャットに夢中で105分。

 台所卓袱台から一歩も動かずして我が心は千里を旅しパレスチナラップに至れり。

 インターネットさんありがとう。


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テレビアバターの膨張 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

ジェームズ・キャメロン監督の映画が大ヒットしたおかげで「アバター」という言葉が広まって話がラクになった。

これまではインターネットのヘビィユーザーぐらいしかこの言葉を知らなかったから。

チャットやオンラインゲームで自分の「代理」としてネット空間で行動するキャラクターのことである。

実はこのAvatarという言葉、元々はサンスクリット語だ。

「アヴァターラ」と発音する。

日本語にすれば「化身」「権現」。ヒンドゥー教の救済神ビシュヌが天からこの世に降り下り、姿を変えた魚やイノシシ、亀などのことを指す。

教典によって十か二十五のアヴァターラがリストアップされている。実は非常に宗教的な言葉なのだ。

つまり「アバター」という言葉には元々「抽象的で形のない崇高な存在が具体的な姿を取って別世界で代理として動く」というニュンスがある。

キリスト教のイエスも「人間の姿で神の言葉を代行する」という意味ではアバターだ。

日本には古来「動植物、自然物が霊性を宿す」というアニミズム信仰(=原始神道)があるので、アバターという言葉を知らなくても「神様のお使い」「神様の化身」といった言葉でアバターの概念を理解している。

「お稲荷さん」信仰のキツネは分かりやすい例だ。

だから、現代の日本人が日々の生活の中で知らず知らずのうちにアバター的な存在を設定していたとしても、それは不自然なことではない。

現にメディア空間ではアバターたちが活躍している。

例えばテレビのワイドショーやバラエティ番組を見てほしい。

「コメンテーター」という、何をするのが職業なのかよくわからない人たちがぞろぞろ登場する。

なぜよくわからないのかというと、コメンテーターという職業はテレビというメディア空間にしか存在せず、現実世界にはいないからだ。

その役割は文字通り番組中で「コメントする」(言葉を述べる)ことが仕事なのだが、その発言が「誰も思いつかなかった斬新な発想や情報」だとは誰も期待しない。

むしろ「誰もが思いつく範囲内」つまり「社会の最大多数が合意可能な」内容が視聴者に好まれる。

つまりコメンテーターは「自分が考えていることを自分に替わってはメディア空間で発言してくれるアバター」だと視聴者は無意識に了解しているのではないか。

そう思ってバラエティ番組をよく見てみると、司会者の後ろのひな壇に、老若男女ちりばめた「ゲスト」たちが時には十人以上並んでいる。

なぜこんなにも多数のゲストが必要なのかと言うと、彼らは視聴者の全年齢・全性別グループを代表するアバターだからだ。

ボケた発言を繰り返して知性が低いかのように振る舞うギャルタレントも、頑迷固陋な保守的意見を振りかざすオッサンタレントも、視聴者のアバターなのだから、視聴者の価値観(発言だけでなく容姿やファッションも含む)を代行する限り、非難されない。

もちろん「視聴者を教え導く権威」をマスメディアに求める視聴者(保守層やリテラシーの高い層が多い)は「視聴者とフラットリー・イコールなアバター」たちにいら立ちを感じる。

しかし、全部の年齢層・知識・性別を代表するアバターが揃わないと、対応した広い層の視聴者を集めることができないのだ。

こうしたテレビアバターたちが別のメディア空間に送り込まれることも多い。

文字通りテレビ番組で視聴者の代理として意見を述べることで視聴者に知られるようになった橋下徹弁護士が、大阪府知事として「政治」という我々の日常空間とは違うある種の仮想現実に送り込まれたことは象徴的な出来事だった。

橋下氏が私たち大衆のアバターである事実はずっと変化がない。

ただその送り込まれるメディア空間が「テレビ」から「政治」に変わっただけである。

どちらもコメディアンだった青島幸男氏が東京都知事に、横山ノック氏が大阪府知事になった1995年あたりで、この「政治家のアバター化」は明確になった。

ちなみに、二人がアバターの座を追われたのは、青島氏は都官僚への隷属、横山氏はセクハラという「アバター逸脱行為」をしたからである。

これは「現実世界における人間の行動規範」が「メディア空間の行動規範」に似てくるという意味で「現実のメディア空間化」と呼べる。

現実がどんどん仮想現実の価値観で動くという、ねじれた現象である。「現実のテレビ化」と言ってもいい。

さてこの現実世界に、ゲームやチャットであふれかえるインターネットアバターの行動規範がなだれ込んでくるのはもはや避けられない。

どんな世界がそこには待っているのだろう。

行き詰まる日本語ネット ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

久しぶりにアメリカ全土を取材で回ってきた。

3週間ほどかけてサンフランシスコからワシントン、フロリダと3万キロ近くを旅してみたのだが、仕事用にと思ってMacBookを持っていったら、ホテルも空港もカフェも、場合によっては飛行機の中まで無線LAN完備が当たり前、ラジオみたいにどこでもネットオンできる。

あまりに快適でびっくりした。

テレビも新聞も必要ない。

もうすでに「インターネットがメインメディア」という前提で社会が動いているのだ。

まさかと思って旅の間ずっと空港や地下鉄、街頭でカフェでと必死に探したのだが、新聞を読んでいる人は十人も見かけなかった(いまアメリカの新聞社は次々に倒産している)。

いても老人ばかり。後は老いも若きもノートパソコンかスマートフォンを一生懸命いじっている。

ちなみに携帯端末は「パーソナルユースではiPhoneの圧勝、ビジネスではBalckberryが圧勝」だという報道を、これもネットで読んだ。

取材で友だちになったアメリカ人に、撮影した写真を見せたい。が、メールでは面倒くさい。

いいチャンスだと思って「あなたが使っているネットワーキングサービス(SNS)は何か」と片っ端から聞いてみた。

すると例外なく「メインはFacebook。次はMyspace」という答えが返ってきた。

日本では大ブームのTwitterも、アメリカでは使っている人に会わなかった。

そう思って調べてみると、Facebookの1ヶ月の訪問者数は約1100万人、Myspaceは約600万人もいるのに、

Twitterは180万人程度でしかない(2010年1月9日ニールセン社調べ)。

じゃあ、とFacebookを使い始めて驚いた。

名前で検索してみると、アメリカ人の友人はほとんど登録していたのだ。

16年前に卒業したコロンビアの大学院仲間を名簿でリストアップ、片っ端から検索してみたら、半分以上とFacebookで連絡が取れた。

しかもよく見るとインドやイギリス、フィリピンなどなど世界中に散らばっている。うれしくなって世界の音楽仲間、仕事仲間など検索してみたら、いるわいるわ。

「友だちの友だち」「友だちの友だちの友だち」とみるみる紹介が広まり、使い始めて1ヶ月で世界150人のネットワークができてしまった。

つまりFacebookはアメリカにとどまらず世界の標準ネットワーキングツールになり始めている。

ごくありふれたある日、私はパリのフランス人女性ジャーナリストと「きょうは吐き気がする」「心と体はひとつですよ」とチャットし、ニューヨークの画家とその作品を眺めながらアニメの影響について議論し、インドネシアのデザイナーにウエブ写真のオフロードバギーが排気量何CCか尋ね、フィリピンのキーボード弾きのお姉さんの背中のタトゥーをほめ、ベルギーの舞踏家に初メールの挨拶をしている。

土曜日の昼下がり、キッチンテーブルでのんびりメールしていたら、ガザのパレスチナ人青年(知らない人)から「ハロートウキョウ、元気ですか?」とメッセージが来て、1時間半チャットに熱中、最後はガザのラップグループのネット音源を教えてもらったこともある。

起きていることが現実とは思えないくらいパワフルな現象だ。

ひとつ注意してほしい。私はFacebookを全部英語でやりとりしている。

世界のインターネットの標準言語が英語であることは、もはや否定できない。

アメリカや欧州だけではない。アジア人やアフリカ人でも、旧宗主国が英語国だと英語を使える人が多い(人数の多さではインドが代表)。そんな人たちは次々にグローバルネットワークにつながり始めている。

いくらツィッターが盛り上がろうと、日本語を使っている限り、インターネットはグローバルメディアでも何でもない。

日本語を使える人だけの内側で終る「島国メディア」にすぎない。

つまり、世界中の人々にインターネットが普及し尽くしたとしても、英語を使える人と使えない人のラングエージ・ギャップは最後まで残るということだ。

当分の間、世界のネット標準言語一位は英語だろう。

それに続く言語が出てきたとしたも、まず間違いなく北京語だ。

リアルの世界と同じように、日本語は非日本人には使われない特殊言語のままだろう。

今はジョークでしかないオンライン翻訳がもっと賢くなってくれればいいのだが。そうでないと、日本人は世界の情報メインストリームから仲間はずれになってしまう。

Twitterブームなんて日本の外じゃもう終ってます [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 おお亜米利加。

 ふざけた切ったこの連載も4年、最後くらいマジメに仕事しようと思って3週間かけて取材したですよ。しかし経営難の週刊(ピー)曜日は取材費出してくれないんで、飛行機代もホテル代も自腹、サンフランシスコだワシントンDCだフロリダだと動きも動いたり全米ツアー3万キロ。時差3時間&気温差30度を言ったり来たりしたもんですっかり体がおかしゅうなってもうた。あぐぐ。

 いやしかし噂には聞いてたんだけど、彼の国じゃホント新聞テレビって終ってるね。新聞読んでる人、飛行機で地下鉄で街角で必死に探したけど、3週間で十人おらんかったな。しかも全員老眼のジジババばっかり。

 40歳以下はみんなiPhoneかBlackberryでチャカチャカネットしてるし、キンドルで本読んでいる人もけっこういた。ABCだとかNBCなんて三大ネットワークですら、広告はハナテン中古車センターレベルのベタな地元中小企業ばっかりで、メリルリンチとか金融系CMがどかどか出ていた十年前と同じ国とは思えん。

 でわが祖国ニッポンに帰ってくると、こりゃ驚いた、誰も彼もみんなつぶやきだツィッターだと大騒ぎ。

 て旦那、アメリカじゃツィッターブームなんてとっくに終ってますぜ。誰も珍しがらない。で結局facebookやmyspaceほどみなさん使っているという感触ないまま終った。

 いや、便利なのは便利っす。すごいマスメディアっす。電車が遅れるとヤフーやJRのサイトより早く遅延情報出ます。寄ってたかって作る速報ニュースサイトみたい。新聞やテレビなんぞツイッターに息の根止められるのとちゃいますか。疑似世論ちゅうか、情報・意見・知恵募集ちゅうか「集合知」得るにはほんにええ道具どすなあ(ホメとかないとつぶやき攻撃される!)。

 でも例によって経済雑誌なんぞの「140字、1億人の『つぶやき』革命」とか「ツイッター革命、上陸!」とか「ツイッターで企業も変わる!」って、なんかあ、ていうかあ、チョットちがう。って感じぃ?

 ジャパンの皆さんはほとんど気付いていないけど、日本語でインターネットやってる限り、インターネットはグローバルメディアでも何でもない、結局ニポン人ていう島国民族から外に一歩も出ないローカルメディアなんですぜ(現段階じゃギャグネタでしかないオンライン翻訳がチョー賢くなりゃ話は別だが)。

 わたしゃ愛国者なんでヒジョーに腹立たしいんだが、インターネットの世界標準言語がイングリッシュであることは間違いない。

 現にわたしゃこの原稿書きながらフェイスブックでパリのフランス人女性ジャーナリストと「きょうは吐き気がする〜」「心と体はひとつやで〜」とチャットし、ニューヨークの画家とその作品を眺めながらアニメの影響について議論し、インドネシアのデザイナーにウエブ写真のオフロードバギーが排気量何CCか尋ね、フィリピンのキーボード弾きのねえちゃんの背中のタトゥーをほめ、ベルギーの舞踏家に初メールの挨拶をしとる。これ全部英語。ひとつのウエブ画面に、世界がフラットに並んどる。ホンマ夢のように素晴らしい。

 でもブロークンでええから英語で書かないと、はっきり言うが、欧米はおろかアジアやアフリカ(旧イギリス植民地のインドとか英語めちゃめちゃうまいぞ〜)等等、世界のコミュニケーションメインストリームから完全仲間ハズレです。

 同じSNSでもあの差別のデパート・アメリカでのフェイスブックには「嫌ユダヤ人」「ホモを国外追放に」なんてヘイトコミュニティが発生しにくいのは何でだと思います? 英語でそんなコミュ始めた日にゃ、世界中から反撃の書き込みと訴訟の嵐がこれまた英語で殺到するからです。

 はい、わがミクシィでは「日本に朝鮮人はいらない」とか「史上最兇痴女酒井法子は許せない」とか、ヘイトコミュ花盛りですね。

 おめでたいもんです。そんなもんで盛りあがってられるのは、みなさんがグローバルコミュニケーションから取り残され、浄化が効かない島国インターネットの住人だからなんですよ。

 ツイッター礼賛のみなさん、そんなに楽観してていいんすか?日本語ツイッターに流れている言説なんて世界スタンダードからすりゃ大半は読む価値ゼロですぜ。

(2010.3.17)

14年経って予想通り鳥肌実は生き残った [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 かつて私はアカ新聞の専従書記おっと間違えた朝■新聞社の社員記者として十七年間勤務いたしましたが、自慢ではありませんが人様に誇れるような実績は何一つありません。

 社是である憲法九条原理主義にも官庁発表絶対主義にも高校野球至上主義にも興味がなかったからです。

 唯一個人的に自慢している仕事といえば、小説デビューする前の町田康先生を「アエラ」の表紙にしたこと(だから肩書きはまだ『パンク歌手』オンリー)と、まだお笑い新人コンテストに出てきたばかりの鳥肌実を同誌でメジャーマスコミデビューさせちゃったことです。

 というか、みなさん鳥肌実なんか知らんでしょうな。あれから十四年、鳥肌がマスコミに出たのなんかそれっきりとちゃいますか。マスコミにとってあれほど危険な人はおりませんからなあ。ウヒヒ。

 などと若かりし頃を懐かしんでいたら、何と鳥肌実が東京は靖国神社近くで演説芸をするとの公安情報をキャッチ。

 かつては百人入らないシケた芝居小屋を一杯にするのも七転八倒の鳥肌、何をちょこざいなと件の九段会館へ出向いてびっくらこいた。ぐわわ千人収容のホールが五日間ソールドアウトになっとる!

 刈上げ•ギトギトオールバック=鳥肌ヘアの若者と公安警察官(とすぐわかる目つきの悪いますらお)が乱闘、物販コーナーで「ホップ•ステップ•玉砕」と染め抜かれたTシャツに人民は狂乱、玄関ではロバのパン屋さんみたいな軽トラをカーキ色に塗ったマヌケな街宣車をバックに記念撮影しておる。

 って、かつて鳥肌なんておもしろがってる変態、いや変人は私一人だったのに、世間、マジ!?

 鳥肌はまったく相変わらずだった。というよりますますアブナくなっておった。

 だいたいイベントのタイトルが「ダメ。ガッカイ。」ってあんた。

 で池田大作先生の等身大写真と一緒にマイケル•ジャクソン踊り狂ってるし「蓮舫みたいなチャンコロのメスブタに、なんで我が国の政策を仕分けされにゃならんのだ!」などと吼えていたかと思ったら四つん這いになって「こないだ蓮舫にアナルのシワを仕分けされる夢を見まして。あああああ」とか言ってウルウルしとる。いや久々に笑った笑ったああおなか痛いよう。

 と随喜の涙にまみれつつ気がついた。

 国粋主義•保守反動•日の丸崇拝•男尊女卑の右翼演説家•鳥肌実•四十二歳厄年•山崎製パン高井戸工場サンドイッチ班ピクルス担当契約社員•イルカセラピー歴五年•いらないものを処分しておったら何もなくなりました等々、醜悪な架空のオッサン鳥肌実(舞台を降りた鳥肌クンはオドオド小心の情けないチビです)がひたすら直立不動で演説、マヌケと差別と猥褻と暴言の限りを尽くす芸は十四年間まったく変わっとらん。

 こんなんテレビに出れるわけないじゃん。でオールマスコミ全力で鳥肌を無視し続けたがネバーマインド。最近じゃYouTubeで鳥肌動画もどかどか見られますし、ホンマええ時代ですなあ。ははは。

 だが! 鳥肌中将を甘く見てはいかん! 私は昔徹底的にインタビューしたから知っとるぞ。彼はけっこう真剣に笑いについて考えてます。

「テレビで受けるとか邪念を取り払って、自分にとって何がおかしいのか考えた結果が、醜悪なオヤジなんです。だから最初から商品として成立しない芸だな。ぬくぬくした日本で、お笑い芸までがブルジョア化してしまったんです。笑いはもっと本能に忠実なものだ!ダウンタウン路線はもういい!松本人志なんか芸人辞めなさい!」

とアエラで発言してダウンタウンににらまれ吉本興業を追われたとか、ホントは渋谷で突然全裸になってゴミ箱の中で倒立して公然猥褻罪で逮捕されたからだとか、まあどうでもいいや、その覚悟に十四年前のうがやさんは感動したものです。

 でも何という歴史の皮肉、十四年経ってみると、鳥肌の芸はまったく摩耗してない。

 レザーラモーンだとかギター侍だとかがテレビであっという間に超有名になりあっという間に消え、ダウンタウンはコメディアンじゃなくてテレビ司会業者に成り果てる一方、テレビが排除した鳥肌みたいな芸人の方が寿命が長いということが証明されてしまった。

 どうだ俺の審美眼は間違ってなかっただろうざまあ見ろ。

(2010.02.15)

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学校化社会の英語熱 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]


80年代から90年代にかけて帰国子女や留学経験者が増えたため、英語で仕事をこなせる人は珍しくなくなった。

日本に住む英語系外国籍の人も増えたし、国際結婚も増えた。

日本人の英語コミュニケーションスキルはここ20〜30年でずいぶん向上した。個人的にはそう感じる。

それでもなお日本人の「英語勉強好き」は変わらないどころかヒートアップしているようだ。

「NOVA」が破綻した直後を除けば「英会話学校•語学学校」の市場規模はここ数年安定している。

少子化に平成大不況が加わって、教育産業が軒並み市場縮小に苦しむ中、これは奇跡的なことである。

幼児•子供向け、シニア向け英語教育の需要も増えつつあるそうだ。

さらに、ちまたでは「日本人は英語が下手」という俗説が今も根強い。繰り返し話題になるのは「日本人のTOEFLの平均点はアジアでも最低レベル」という話である。

「言語構造が似た中国や韓国よりはるかに下」「北朝鮮と同じくらいの点数」と、日本人の誇りをズタズタにするような話が追い打ちをかける。

最近では「アメリカ留学をいやがる草食系世代」という新たな神話も報道されている。

とはいえ、この比較は何だか変だ。

そもそも、日本国内で日常生活を送る限り、高度な英語のスキルは必要がない。

また沖縄を除けば、日本はシンガポールやフィリピン(TOEFLの点は日本より上)のように外国に植民地化された経験がない。

さらに人口増加を満たすだけの急激な経済成長があったので、韓国や中国のように貧困層が職を求めて海外に移民する必要もほとんどなかった。

つまり、教育にせよ就労にせよ、社会上昇の手段として英語をマスターする理由がほとんどなかったのだ。

「英語ができれば就職や職探しで有利」といっても、それで所得階層が格段に変わるわけでもない(日本では学歴の方が所得階層を決定する)。

つまり英語をマスターしても、日本人にはほとんど何の実利もないと言っていい。

1950〜60年代の高度経済成長期なら、まだ実利的な理由があった。貧乏な日本の製品を買ってくれる最大の金持ち国はアメリカであり、学ぶべき先端技術(当時は鉄鋼、機械、石油化学など重化学工業)もアメリカから来た。英語ができてアメリカの情報を早く知ることができれば、ビジネス競争で有利だったのだ。

しかし、そんな時代もとっくに終わってしまった。

今や中国が世界最大の経済大国になるのは時間の問題なので、若い世代の将来の仕事での有利不利を考えるなら、英語のほかに北京語の人気が急上昇してもいいはずだ。が、そうはならない。

相変わらず親たちが子供に習わせたがるのは英語である。

外国語をめぐる環境は激変したのに「英語ができなければならない」というオブセッションだけが亡霊のように一人歩きしている。

「日本人は英語が下手」なのではなく「日本人は英語が下手だと認識したまま変えることができない」と考えた方が正確なのではないか。

この社会を覆う「英語信仰」は一体どこから来たのか。

社会学者の上野千鶴子は「サヨナラ学校化社会」(太郎次郎社)の中で「学校化社会」という説を紹介している。

元々はイリイチというアメリカ人思想家が1970年ごろに提唱した言葉だが、日本では宮台真司が日本社会の特質として「学校化」という概念を使った。

つまり「学校の中の価値観が学校の外に溢れ出し、社会全体を覆うこと」を指す。

学校は「数学」「英語」「美術」「国語」など、人類の知の蓄積が「教科」というカテゴリーで分類され、人間の資質が「成績」という数字で計測される特殊空間である。

この「成績」(偏差値、学歴も成績の一種)が日本人にとって学校卒業後も有力な人間評価軸であることは、みなさんのごく日常的な経験でおわかりいただけるのではないか。

ゆえに、学校化社会で育った親は、自分が学校で叩き込まれた学校的価値をそのまま社会に持ち込み、他人や子供、そして自分自身の評価の基準にする。これが学校的価値観の社会への拡大、つまり学校化である。

ここで「英語」が学校の「教科」の一つであることに注目してほしい。

「教科」であるがゆえに、英語の「成績」は学校化社会での人間の評価に序列を与える。

「英語ができる」ことは、人間の資質として価値がある。「競争」という軸に置けば「優越」の材料になる。

ロシア語でもフランス語でも北京語でもなく英語が信仰の対象になり続けるのは、それが「中学や高校の教科にある唯一の外国語」だからではないか。

YouTubeがCDの次の世界の標準音楽メディアになるでしょう! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]



 週刊金曜日をご愛読の共産主義者のみなさまあけましておめでとうございます。

 今年も日本の赤色革命を目指してさし上る朝日の如く前衛的に一党独裁いたしましょう。

 さて最近の革命運動の勝利といえば、年末紅白歌合戦。

 無名の庶民から一夜にして世界的シンガーに躍り出るというプロレタリア暴力革命を成功させた大英帝国のイケズなおばはん、じゃなかった革命烈士スーザン•ボイルをご覧になりましたか。ご承知かどうか、片田舎に暮らすブサイクなおばちゃん、おっと間違えた、地味な主婦でしかなかったミセスボイルが世界でCDを数百万枚売るなんて、マイケルジャクソン殿下みたいな偉業を成し遂げることができたのは、英国で放送された素人タレント番組のビデオを誰かがYouTubeにアップ、世界中が彼女の歌をインターネットで視聴できるようにしたからですね。マイケル殿下を地球規模のスターにしたのが殿下の超絶ダンスビデオを世界中に流したMTVだったことを思い出すと、あれから三十年弱を経て音楽の世界標準メディアが完全に「テレビ」から「インターネット」に移行したことがわかります。ワーオ。


 いや玄人だけの話じゃないんです。ちかごろ若い音楽仲間なんぞに「最近なんかおもろいバンドある?」てな話を(もちろんメールで)しますと「これおもしろいですよ」と返ってくるのは決まってYouTubeのURLのリスト。

 クリックするとたちまちビデオクリップが始まる。すごい!世界中がよってたかって作る音楽ビデオ図書館だぞ。音楽も聴けるし動く絵も見れる、いや見ることができる。しかもタダ。うひゃーこりゃ快適だねえ。言うことなし。CDなんぞ買う気起こらんわ。

 そうやって教えてもらった私が最近ハマったのはイギリスの「Selfish Cunt」(日本語にすると(ピー)という意味です。まあジコチューメスブタてな意味です)です。このバンドの「I X NEW YORK」って曲のビデオがすごい。

 9•11テロでビルに飛行機が突入するおなじみのニュース映像と連ドラ「Sex and the City」の主人公のねーちゃんの画像、さらにアメリカ空軍の爆撃機がどかすか爆弾をばらまくニュース画像を切り刻んでぐちゃぐちゃにつなげたって代物。

 通しで見ると「アメリカもアルカイダも破壊と殺戮って点じゃどっちも同じじゃねえか」って壮大な批判がちゃんと映像で表現されてる。「グローバル経済への脅威となる連中を/法と秩序を回復するまで/殺して殺して殺しまくるぞ」ちゅう歌詞もワーオですが、その歌と映像が一緒になった時のインパクト、まあいっぺん見てください。

 もひとつYouTubeが革命的なのは、プロもアマも平等に世界に動画を公開できちゃうってことです。オリコン裁判で孤軍奮闘していた時、どこのテレビ局も取材に来てくれないので、ひがんだ私はビデオカメラに向かってしゃべる自分の映像を五分ほどのビデオメッセージにして約五十本アップしました。

 そしたらびっくらしたね、最多で十万を超えるアクセスが来た。わはは。

 時間無制限だし自由に好きなことしゃべれるし、テレビ取材よりよっぽどええやんけ。

 てんで、味をしめた私、最近はライブ会場(私ミュージシャンもやってるって言いましたっけ?) にビデオカメラと三脚を持参、自分がベースを演奏するライブをインターネットで公開しております。名付けて「うがやMTV」

 そしたらまたすごいんだ、これが。アリゾナ、オーストラリア、ドイツなどから「お前の演奏を見たぞ。カッコいいな。おれの演奏ビデオも見てくれ」とどかどかメールが来てあっという間にメル友。うひー東京にいながらワールドツアーでございます。

 おお一年の計は元旦にあり。今年の目標が決まりました。スーザン•ボイル先生のようにYouTubeで世界的スターとなり、紅白歌合戦に出て、キムタクの英語を鼻で笑ってやる。おおなんと清々しくなんと壮大な初夢!

(2010.01.17)

女性が武装解除する儀式がない ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

職場の中で、どこまでくつろいだ素顔をさらけ出していいものか。

働く女性にとってこれは悩ましい問題である。

いつもフォーマルな堅苦しいつきあいばかりでは、打ち解けたチームワークなどできない(まして、あわよくば職場でカレシをゲットしようなどという野望はかなえられない)。

男性社員同士はすぐ仲良くなっていくのに、自分はいつまでも距離が縮まらず、何となく仲間はずれにされているような気さえする。そんな女性は多いのではないか。

じゃあ実際どうするといえば「競争原理の中で勝って認められる」「飲みにいく」「一緒にゴルフをする」「カラオケをする」など、悲しいほど古くさい。

昭和の高度経済成長期、男性サラリーマン社会から何の進歩もないではないか。

つまり今の日本の企業共同体では、女性が「よりよい労働者」になろうとして組織文化を受け入れていくと「文化的に男性になる」しか選択肢がないのである。

この有様を指して「日本の資本主義社会は成人男子しか想定していない」という名言を放ったのは社会学者の上野千鶴子だ。

女性の企業進出が本格化した1990年代初頭、漫画家の中尊寺ゆつこが描いた「オヤジギャル」はまさに「文化的に男性になった女性たち」だった。

その後、こうした女性サラリーマンはごく当たり前の存在になり、中尊寺が描いた「駅で立ち食いソバを食う」「疲れたらユンケル黄帝液を飲む」「電車でスポーツ新聞を読む」女性は、20年後の今では驚きの対象にならない。

本欄でも何度か書いているように、女性が日本の企業社会に男性と対等の労働者として参入したのは、たかだか1986年のことにすぎない。

それまで明治維新以来、日本の企業共同体はずっと「男性純血主義文化」であり、組織の構成員に女性が入ることを想定していなかった。そこに参加してまだ24年なので、女性が企業共同体の構成員としてくつろいだ関係を同僚と構築する(例えて言うと『武装解除』する)儀式がまだ確立されていないのだ。

例えばの話。私がかつて勤務していた新聞社はおそろしく古風な会社で「部ごとの一泊温泉旅行」というのが年に一回あった。お金を積み立てて伊東温泉だ伊香保温泉だと半日かけて繰り出し、昼間はハイキングにテニスにゴルフにとリクリエーションに精を出し、大浴場で揃って汗を流したあとは、部長もデスクも浴衣に着替え、大広間にずらりと並んでお膳に並んだ温泉料理を食うのである。もちろんみなさん飲酒酩酊、コントあり福引きありと笑い歌い踊り騒ぎ、さらに二次会はカラオケに突入、部屋に散って徹夜で麻雀と、毎年飽きもせず狂騒状態だった。

最初は一体何のために休日を犠牲にして会社のオッサンどもと宴会旅行に行かなアカンのじゃと怒っていた私も、次第に「これは文化人類学的におもしろいのではないか」と思うようになった。

騙されたと思ってスポーツに興じ、スッポンポンで風呂に入り、浴衣一枚パンチラの酔っ払いオヤジと猥談などして騒いでいると、不思議だが確かに仲良くなっちゃうのである。

「上司/部下」「先輩/後輩」というフォーマルな心理的障壁が崩れる。なるほど「裃を脱ぐ」という精神的儀式はまだ生きているのだなと思った。

こういう「社員旅行」という儀式が、かつての日本企業にはどこにでもあった。

旅行に限らず、運動会とかサークル活動だとか、従業員同士がインフォーマルな関係を結んでいくための「儀式」があちこちに用意されていた。

日本の企業が単なる「労働をして賃金を得るための組織」ではなく「インフォーマルな人間関係を含んだ全人格的な共同体」として機能したのは、こうした儀式のためである。

だが、先ほどの温泉旅行の例でもわかるように、こうした儀式には女性構成員が想定されていない。

リクリエーションはまあいいとして、一緒に風呂に入るわけにはいかないし、浴衣姿でパンチラするのもいかがなものか。

同僚の女性たちも困ったようだ。浴衣を着ずにTシャツジーンズ姿だった。

では、どうすればいいのか。もうさすがに温泉旅行の時代じゃないだろう。女性も男性も参加できて、全員が「武装解除」できるような儀式を、日本の企業文化は生むのだろうか。

答えはノーだ。

日本の企業文化の男性純血主義はおそろしく頑迷固陋な様子だ。それならいっそ「職場にインフォーマルな関係などいらない」という方向に状況は進んでいるように思える。

読者のみなさん、「女性の武装解除儀式」で成功している例があったら教えてください。

あまりにイタい 小室哲哉 回顧本 [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 大変喜ばしいことに2009年。ポピュラー音楽界は近年稀な盛況でありました。

 CDの売り上げはジリ貧だがネバーマインド。連日のようにきらびやかなスターたちが新聞テレビのトップニュースを飾っていたではありませんか。

 筆頭は酒井法子容疑者、じゃなかった元被告、いやいや創造学園大学生だったっけ?今年もっとも耳目を集めたビッグイベントは彼女の「ライブイン東京地裁」でしたね。

 そして久々にスキャンダルじゃなくバカ売れのマイケル寂聴おっと間違えたジャクソン先生。

 おおそうだ押尾学先生も健闘されました。

 愛し合ってるかい忌野清志郎先生は雨上がりの夜空に昇天されベイベー、し〜れ〜と〜こ〜のみ〜さ〜きに〜ハマナスの花が咲いたら森繁久弥先生を思い出しておくれ。

 チェ・ホンマンこと草薙剛先生は「裸で何が悪い!!」と人間存在の根源を問いかける哲学的名言を残されたました。

 とまあ、ヒットチャートの顔ぶれがあまりに豪華絢爛で若干小物感があるのですが、忘れてはならないのがミスターJポップこと小室哲哉先生です。

 さすがかつて九〇年代にCDの市場規模を倍増させた功労者、五億円の詐欺事件で懲役三年・執行猶予五年の有罪判決と、ミュージックシーンのみならずクライムシーンでもメガヒット級の業績を残されたのは今年五月でした。

 その小室先生が「なぜ事件は起こったのか? 絶頂からの迷走、転落、そしてヒッパリ棒マル」と思わせブリブリなコピーで書き下ろし「罪と音楽」(幻冬舎)を出版されたのは、わずか四ヶ月後。はいはい、買い求めましたとも。

 で本を手にしてのけぞった。

 何やねんこの表紙。漆黒のグランドピアノに向かう小室先生のブラック&ホワイトフォトグラフィー。これだけでも人格障害ギリギリのナルシシズム臭プンプンなのですが、奥付にStylistダレソレとかHair&Makeダレソレとか、アルファベットにする必要もないクレジットが並んでいるのを見た瞬間、小生「やめて〜」と本屋店頭で叫んだ。自己陶酔がスベって痛い。メイクってスタイリストってああた、反省するならカッコつけやめるのが先決でしょーに。

 まあ辛抱辛抱。本文、なかなか正直と思います。

「いつからか、音楽が動けば常にお金が動き、音楽の流れとお金の流れは近いものだと思うようになっていた」
「Jポップが幼児性を強めてしまった原因の一端は、僕にある」。

 いいじゃないですか。まあ執行猶予期間中に出版する本ですから、殊勝に反省するのはお約束。自然、この本も「ファンのみなさん、嘆願書を書いてくださった方々(日本レコード協会会長とかギョーカイ大物のみなさんね)、松浦社長、千葉副社長をはじめとするエイベックスのみなさん(被害者に賠償金六億円以上払ってくれたしね)、恩情をいただいたすべての人たちに報いる」決意表明に大きな紙数を割いておられます。

 しかしTK生、肝心な点では大ボケをかまし続けます。

「九〇年代、僕は、コード進行とリズムでヒット曲のスタンダードをつくった」と過剰な自己評価が出るあたりでもう激しくイタいのですが「地デジ効果により、音楽がまた景気づく」「地デジ時代を意識した半歩先のCMソングを作るなら」と、テレビタイアップという過去の成功体験から抜け出せない自説を延々と開陳されるに至っては、高度成長しか知らん昭和のオッサンの酔談のよう。「時代に付いていけません」と告白されているようで心が痛みます。

 そしてなによりこの本が痛々しいのは「音楽の価値は数字で計測できる」という自分を破滅に導いた思考をまったく治癒できていない点です。

「クオリティーを求める人々は健在である」「わかりやすさだけを求めない、質を求める層は枯れていなかった」と言うは正しい。

 が、なぜそう考えたのかっていうと、村上春樹の「1Q84」は発売1週間で100万部の「ミリオンセラー」を記録したからとか、辻井伸行の音楽を求める人が多数いたことはCDの売れ行きが物語っているとか、高品質テクノロジーのiPhone3GSは発売後たった3日で100万台を突破したとか、やれやれ小室先生、あなた本当に経済的数字でしかものごとの価値が理解できないんですね。

 歌詞がわかりやすいとかコード進行がわかりやすいとか、そういう「わかりやすさ」が日本のポピュラー音楽の破壊をもたらしたんじゃないってわかりませんか。

「数字」というわかりやすい価値指標こそが致死ウイルスだった。それに気付かない限り「小室哲哉の破滅」という大きな犠牲も報われませんなあ。

罪と音楽

罪と音楽

  • 作者: 小室 哲哉
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2009/09/15
  • メディア: 単行本



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ナビゲーター文化はなぜ生まれるのか ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

情報の流通量が増えると「情報の海」を案内する「ナビゲーター」(navigatorの原義は『航海士』『水先案内人』の意味)が重要な職業になる。

情報のカオス(無秩序状態)の中で「あなたにはこういう商品・消費形態が良いのでは」とパーソナライズした情報を提案してくれる職業だ。

音楽の例が分かりやすい。日本では1年に1万9445点(2008年)の新しいレコードが発売される。

年約2万点だから、一日に換算すると約53点が洋楽・邦楽ジャンル問わず発売され続けている計算になる。

この「新譜約2万点」というペースは1970年代からほぼ一貫して変わっていない。

当然、市場に流通するレコードの点数は増えるばかりだ。

私が大学を卒業した1986年には、市場に流通するレコードの「カタログ数」は10万4703点だった。

それから22年後、08年には15万4582点に膨れ上がっている。

つまり若者だったころの私と比べると、08年時点の若者は聞く対象が1.5倍に膨れ上がった計算になる。

冗談でも皮肉でもなく「最近の若い人は大変ですね」と言いたくなる。

この数字は日本レコード協会の統計なので、協会に加盟していないインディーズを合算すれば数字はもっと膨らむだろう。

CDは出していないがインターネットで話題、などという新しい形のミュージシャンも増えているから、もはや普通の人には付いていけない。

カタログ数が増え、メディアも複数併存する状態では、そこさえ見れば「何が流行っているのか」を教えてくれる情報の中心(ヒットチャート、音楽番組、雑誌など)ももはや存在しえなくなってしまった。

そのカオスの中から登場したナビゲーター職が「クラブDJ」だ。かつて人前で音楽を実演するために必要な能力は演奏力や歌唱力だった。が、音楽情報のカオスの中では膨大なアーカイブから「選曲する力」=「カタログ知識」も音楽家として重要な能力になりうる。

また「音楽を聴く」というマーケットも大衆化して非常に分厚い。だから今ではクラブDJは「クラブ」だけではなく、ごく身近な結婚式にまで進出している。

よく考えてみると「ナビゲーター職」は昨今始まった現象ではない。「カタログ数が膨大」で「消費者の数が急増」(大衆化)した商品にはナビゲーター職が発生している。例えば、ワインのソムリエは「膨大なカタログの中から客の要望に合ったワインを選ぶ」という業務内容がナビゲーターそのものだ。

おもしろいのは、最近市場がビッグバンを迎えてナビゲーターが登場した商品だ。意外な顔ぶれだが「金融」と「書籍」がそうだ。
金融市場が自由化されたので、かつてはせいぜい「銀行預金を普通にするか定期にするか」くらいしか選択肢のなかった個人資産の運用手段が無数に増えた。また、終身雇用制度や企業年金が崩壊したので、需要=マーケットも分厚い。銀行や証券会社は個人の資産運用をアドバイスする「パーソナル・ファイナンス」を重要な業務に据え始めた。

株・債券・銀行預金・不動産・先物取引や保険など、金融商品を組み合わせて顧客に合った資産運用を提案する仕事。ちなみにパーソナル・ファイナンスでのナビゲーター職は「ファイナンシャル・プランナー」と呼ばれる。

書籍の世界では、読者の要望に応えて「こんな本を読むといいですよ」と提案する「ブック・ディレクター」という職業が登場した。

「本のクラブDJ」とでもいえばいいだろうか。そう思って、さきほどの音楽と同じ数字を調べてみると、一年に出版される新しい書籍の数は7万6322もある(08年、出版科学研究所。1万7644点の1968年から4倍に増加)。レコードの4倍近い「本の洪水」だ。

加えてアマゾンなどインターネット書店が普及したため、本の買い方も激変した。

かつて本を書店で買うしか流通経路がなかったころは新刊本を扱う「書店」と古書を扱う「古本屋」は店舗も客もまったく別々に分断されていた。ところが、ネット書店上では新刊本も古書もフラットリー・イコールで、商品としては違いがない。

読む対象は「過去すべてのアーカイブすべて」に膨れ上がってしまった。消費者は混乱する一方である。

こうして、インターネットがマスメディアとして普及すればするほど、無加工の一次情報が洪水のように消費者に流れ込む。

しかし普通の消費者には情報の判別ができない。かくしてグルメ情報、コスメ情報、美容情報などが錯綜する中「グルメライター」「コスメジャーナリスト」「美容評論家」等々、これまで聞いたことのない「専門家」が続々に登場している。さらに細分化して「ラーメン評論家」まで職業として成立しているからおもしろい。

消費者がこうした「専門」に本当に判断力や見識があるかどうかを問うことはあまりない。

自分たちが情報洪水の中にいて、日常的に迷子のような不安感の中で暮らしている消費者にとっては「専門家が情報の洪水を整理して提供してくれている安心感」にこそ需要があるからだ。

ヤンキーラップ これほど素晴らしい音楽はめったにないぞ [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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「ケンカの弱い奴がパンクスになり、強い奴はヤンキーになる」

 そうおっしゃったのは誰あろうご自身もパンク歌手でおられる町田康様であります。

 けだし名言。

 小生が京都のパンクロック周辺でウロチョロしておった若かりしころ、パンクスって意外にガリ勉あがりが多かった。

 メガネ取られて急に強くなるいじめられっ子の逆襲て言いますか、鬱屈した暴力衝動が頭頂から噴出してモヒカン頭。が土台元が生徒会役員上がりですからライブハウス前でたむろ・ケンカ弱いの忘れてメンチ切って地元ヤンキーと乱闘・ボコボコにされパンクス全員顔面出血し路上に昏倒。と情けないありさま。

 しかも元パンクスども、今じゃ編集者・大学教員・銀行員など勤勉労働、・高校生の父親などと、すっかり健全な市民生活を送っておる。


 そこへ行くとヤンキーの皆さんは気合いが違う。マジな話、低学歴・低収入という点でホンマもんの日本のアンダークラスであります。社会構造的にいえばアメリカのアフリカ系やラテン系、イギリスの労働者階級と近い。

 さらに言えば「ヤンキー文化」ってのは日本の若者文化の中で欧米にお手本がない完全ジャパンオリジナル。いやマジっす。その意味で私はヤンキーとギャルは欧米のマネでない日本発の独創的なユース・カルチャーだと本気で考えておるのです。

 じゃあそのヤンキーから音楽文化が生まれたかっていうと、それが意外にない。

 矢沢のエーちゃんとか横浜銀蝿とか亜無亜奇異とかあるにはあるんだが、どっちかってえとそれは「ヤンキーのみなさんが愛聴する音楽」だった。ご本人たちはシャコタンと集会とケンカに忙しいのか、ギター持って曲書いて、何て創作活動にはなかなか入って来ん。イギリスのパンクやアメリカのブルースみたいなアンダークラス発の音楽ムーブメントにならないんだわ。

 ところがこの状況がラップ・ヒップホップの登場で激変した。なんせ詩さえ書ければ歌メロ書く必要ないし、楽器の練習する必要もない。しかも最近じゃYouTubeもあるからネットで動画見て歌も聴ける。うひゃー。

 で、すごい傑作がどんどん出てきたぞ。今年その名も「獄窓」ってアルバム出した「鬼」(ラッパーの名前ね)のアルバムの「小名浜」って曲は泣けます。

 これ福島県いわき市の小名浜のことだと思うんだけど、たぶん鬼の故郷なんだろうな。都会的な華やかさとは全然無縁の地味な漁師町が舞台、そこで語られるのは主人公の子どものころの話なんだが、それこそ低所得、父親が7歳で出奔、水商売の母が団地で彼と妹を育てるんだが、主人公は中学卒業と同時に矯正院だか少年院だかを出たり入ったり。それはまるで小名浜のかもめのよう。ううう何て美しい歌なんだ。

 こういうアンダークラスの日常風景を歌っているという点じゃAnarchyの「fate」もすごい傑作ですな。どこか都会の巨大団地。潤いもクソもない殺風景。アル中のオヤジの怒声、虐待される隣の女の子の悲鳴。真っ暗な家に慣れた小二。キレイごと言っても結局全部カネ。ああなんてリアルなんだ。

 低所得者が住む団地、崩壊した家庭、薬物依存、ドメスティックバイオレンスと、彼らが歌う風景は驚くほどアメリカのラッパーやアフリカ系ミュージシャンが歌ってきた風景と酷似している。

 今や新自由主義経済が世界を覆うと同時に格差社会は各国共通の社会問題となり、未来を奪われた若者はそのフラストレーションをラップに叩きつけるのであったなんて小賢しいインテリ気取りのブンカジンみたいな痴れ言いうとる場合かボケ。

 ヤンキー、いや正真正銘の我が国のアンダークラスがやっと自分の言葉を見つけて音楽というメディアで彼らの世界を歌い始めたのですよ。

 ロックだパンクだってたってしょせんミドルクラス家庭のボンボン&お譲ちゃんの手すさびだった我が国じゃ、これは革命的なことなんだぞ。


獄窓

獄窓

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: 赤落PRODCUTION
  • 発売日: 2009/09/02
  • メディア: CD



”DREAM AND DRAMA” LIVE!

”DREAM AND DRAMA” LIVE!

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: R-RATED RECORDS
  • 発売日: 2009/06/03
  • メディア: DVD Audio



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通信カラオケという自己表現ツール ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

カラオケが都市部に住む女性たちの娯楽になったのはいつごろか、ご存知だろうか?

それが意外に最近。1992年暮れに「通信カラオケ」が市販されてからのことなのだ。

それまでのカラオケは音源にレーザーディスクやCDを使っていたため、店先に置けるディスク数はせいぜい数百枚。曲数にすれば二~三千曲だ。そこからリクエスト曲を手作業で選び出すのは骨が折れた。

また、お客が歌いたい新曲が出ても、レーザーディスクやCDをプレスして店頭に配布するには、どうしても一ヶ月はかかった。最新の流行歌を少しでも早く歌いたい若者層には物足りない。
というわけで、カラオケはそれまでは盛り場のバーやスナックで懐メロやフォークを歌う「オジサンたちの娯楽」に止まっていたのだ。

ところが、ミシンメーカー「ブラザー工業」(現在もパソコンプリンターやコピー機メーカーとして有名)の子会社「エクシング」がつくった「通信カラオケ」は、そんな欠点をすべて吹き飛ばしてしまった。

カラオケボックスに置いてある通信カラオケの端末機は、実はハイテクの塊である。

中身は、シンセサイザーなみの楽器の音色が詰まった音源ボードとパソコンレベルのCPUを積んだ「音楽自動演奏専用コンピューター」。そこに電話回線でデジタル信号に変換された「楽譜データ」を送り込むと、曲の演奏が始まる。原理は現在の音楽ネット配信に似ているが、当時は54キロビットのアナログ電話回線しかない時代(現在のブロードバンドは数十メガビットが普通)だ。譜面データは「MIDI」というデジタル信号に変換して送った。これだと、1曲が数十キロバイトとメール並みの軽さだったから、飲み屋のピンク電話の回線でも曲を送ることができた。
いったん送った曲データは、端末内部のハードディスクに貯蔵される。

こうして発売当初3000曲を内蔵して発売されたエクシング社の通信カラオケには、今では約六万曲が内蔵されている。今ではレコード会社が新譜の発売日とカラオケの配信日を揃えるのも当たり前。それでも大きさはミニコンポくらい。レーザーディスク時代には冷蔵庫並みにかさばったことを考えると画期的なサイズだ。

この通信カラオケと二人三脚で普及したのが「カラオケボックス」である。

それまでは郊外のロードサイドにだけ展開していたカラオケボックスが都心部に進出したのは、90年に「ビッグ・エコー」の商標で有名な「第一興商」が東京・渋谷に近い三軒茶屋に出店したテナントビルが第一号だった。
92年には前述の通信カラオケがカラオケボックスに置かれるようになり、都心部ビル型カラオケボックスは爆発的に広まった。

ちょうどバブル景気が崩壊した直後。カネのかからない娯楽としてカラオケは貴重だった。

昼間=学校帰りの中高校生が「レンタルリビングルーム」代わりに使う。
夜=サラリーマンや学生の二次会
深夜~未明=終電を乗り逃がしたので始発まで時間潰し。
そんなライフスタイルが始まったのも、この「通信カラオケ+カラオケボックス」以降の現象である。

かくして「レジャー白書」06年版によると、過去1年間に一度でもカラオケに参加したことのある日本人は4540万人で外食、国内旅行、ドライブに次いで堂々の4位。

ところがその一方で「音楽鑑賞」は4040万人しかいない。

つまり「うたは歌うが、音楽は聞かない」という人が500万人もいる計算になる。

CDには3333億円(07年、出荷額)しか払わないのに、カラオケには7431億円を払う。

日本人にとって音楽は「聴くもの」よりは断然「うたうもの」なのだ。

通信カラオケ普及期の90年代前半から中頃にかけて「カラオケでよく歌われる曲」と「よくCDが売れる曲」の間に相関関係ができたのも、そんな現象のひとつと考えればわかりやすい。

安室奈美恵、華原朋美、trfといった「小室哲哉プロデュースもの」の全盛期といえば思い出してもらえるだろうか。

こうして、おもしろい現象が起きた。カラオケを通じて日本のポピュラー音楽は「自己表現消費」の商品のひとつに組み入れられていったのだ。

聴くだけなら、ライブにしろレコードにしろ、プロの演奏家や歌手の奏でる音楽を受け取るだけだが、歌うなら、自分から進んで曲を選び、声を出してメロディと詞を歌わなくてはいけない。そして歌うのが浜崎あゆみなのか北島三郎なのかAKB48なのかで歌い手の内面の個性が外部(カラオケボックスに同席している人間)に伝達される。

この「自己表現商品に音楽を使う」という手法は、そのまま携帯電話着メロや着うたに引き継がれている。

「自己表現消費」の重要な要素が「その商品を使う自分を自分で承認できるか」という「自己承認」(ナルシシズム)であることは本欄でも何度か書いた。

ここで詞や曲は、歌い手の名前、容姿、ファッション、ライフスタイルを含めた一連の商品の一部でしかなくなる。

消費者にとって重要なのは「そのうたを歌うことで、歌手××がシンボライズする価値観を身に付ける」という行為だからだ。

安室奈美恵や浜崎あゆみがそういったファッションを含めたライフスタイル(生き様という意味もある)を積極的にマスメディアに載せることで、歌手としても人気を高めたのは、まさにその代表例である。

「うた」は相対的に重要度が低い。

だから、人気のある歌手でも「その代表曲は」と問われる、と意外に思い出せなかったりする。

由紀さおり 恐るべし! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 つくづく売文業とは因果な商売よなあと思ひしはコンサアトに足を運びし時也。

 善男善女手を取り合い歌舞音曲に身を委ね慰撫愛撫に興ぜし折も、我監視兵の如く双眼鏡を握り絞め歌手の表情を鋭意観察せざるを得ず。

 何故なら如何なる永年歌手も歌唱誤むれば表情一瞬歪みたり。歌ふ途中集中力途切れし瞬間目線泳ぎたり。さういふ現場数々踏みたるに、焉んぞ歌の巧拙分からずを得ん也。

 が剣呑、最近は南蛮渡来イヤモニって飛び道具があるから油断なりませんぞご同輩。

 イヤモニ。ってタバコ吸ってクビになった加護亜依がいたモーニング娘。の分裂セクトではなく「イヤーモニター」って、爺の補聴器みたいに耳にすっぽり入るモニターイヤフォンてのがあるんですな。しかもワイヤレスですからコードもない。

 ぱっと見わからない。こん中にバックバンドの演奏はおろか、リズムクリックや場合によっちゃ歌メロまで流れるから要するにカラオケと同じ。あげくは「あと4小節でギターソロ入ります」なんて指示まで流れる。

 ははは。最近の「アーティスト」は歌がうまいはずだわ。

 そんな痴れ事まみれの土曜昼下がり、人に勧められ電車で二時間かけて湘南・厚木まで行って見たのが由紀さおり

 で例に拠ってショウの間ずっと双眼鏡握りしめて由紀さおりの顔を観察するんだが、これがびっくらこいたわ。

 だって完璧なんだもん。御歳六十一歳、異説には六十三歳だか、まあどっちでもいいや、休憩十五分挟んで三時間歌いっぱなしなんて、エイベックスのねーちゃん歌手でも最近やらんぞ。で、この三時間で、三十曲くらい歌ったかね、由紀女史。

 音程、リズムともただの一個所も狂わない。

 あんまり完璧なんで口パクじゃねーのかと思ったくらいだ。いやいや音程とリズムだけじゃない。音を伸ばす長さ、息継ぎのタイミング、クレッシェンドとデクレッシェンドの緩急、どれも一点のミスもない。

 なおかつ。手の動かし方や立つ位置や角度、視線の方向、顔の向き、マイクの持ち方と、何とかアラ探しするんだが、だめ! わし降参!

 じゃあね、感情のないロボットみたいな歌い方みたいに思うでしょ?

 それも違うんだな。ショウの幕間で女優さんが出てきて、ステージママだった母親との思い出を演じるシーンがありまして、その後に由紀女史が「あなたと出会った幸せ」を歌うんだが、母を思い出したかボロボロ涙を流し始めた。

 ウソじゃないよ。わしゃ双眼鏡ではっきり見たぞ。でも歌がまったく乱れないのだ。がるる。

 いや、訂正。一個所だけミストーンを出したのに、わしは気付いた。

 アンコールのおり「真綿のように」を歌っている由紀女史の頬にまた涙が幾筋も流れ落ちる。もうアラ探しはいいやと思ったら、一回だけ「スン」と鼻をしゃくり上げる音をマイクが拾った。

 この「スン」。

 スン。

 ただ「スン」だけが、三時間のショウでたった一回のミストーンだった。だがこのスンのおかげで後は口パクでも何でもない生歌だと断言できるのですよ。

 もうお気付きだと思うけど、私は由紀さおりがイヤモニを付けていないか、必死で探した。

 何度も何度も見た。が、ない。バックバンドのナマ音と床上のモニタースピーカーだけというオールドファッションなステージにマイク一本持ってぴんと立っている。うわーかっこええやんけ。

 るーるるるーるーるるるーって「夜明けのスキャット」で彼女がスターになったのは一九六九年でしたか、そのころからポピュラー音楽は「シンガーソングライター」って歌手と作詞作曲家兼業ってのが流行りになりまして、専業シンガーに専業ソングライターが曲を提供する分業制度は「歌謡曲」と呼ばれ「つくりすぎ」と若者の侮蔑の対象にさえなったのです。

 でも「つくりすぎ」の「つくり」には、プロの歌手としてのスキルは死守するという気概も入っていた。

 で、四十年。ふと振り向けば「歌謡曲」にアレサ・フランクリンやエディット・ピアフにも匹敵するようなシンガーがごろごろいるのに気がついて唖然とするのです。

「再評価」なんて失礼なことは口が裂けてもよお言わん。だって由紀さおりは四十年間ずっと歌い続けてるから。

「アタシはずっと評価されてんのに再評価って何よバカ若造」と叱られそうな気がする。

 すみません。


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なんでのりピーなんかにモラルの規範なんて求めるの? [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 いつの間にか、秋。

道端に虚しき声や蝉骸。

暮れなずむ空に茜の鰯雲。

おお何と儚くも人生は過ぎ去ってゆくものであることよなあ。

 などと詠嘆に浸りつつ思索散策、路傍の虫の音に耳を澄ませておりましたところ

「タカソーノリコヨーギシャ、タカソーノリコヨーギシャ」

ってスズムシの声。何やねんそれ。わわわ。こっちじゃ

「ジショープロサーファー、ジショープロサーファー」

って虫が鳴いとる。

 ぎゃっ。八月ずっとネットとテレビで芸能ニュースばっかり見てたせいで、幻聴が聞こえる。ごめんなさいお母さんぼくの魂はすっかり汚れてしまいました。

 んで、何だっけ?シブヤでポリさんに職質かけられて薬物で現行犯逮捕されたって、押尾学だっけ?ちがう?トンズラしたヨメはんは和田アキ子だっけ?え?矢田亜希子?誰それ?だんだん混乱してきたぞ。

 まあどうでもいいや。

 でも読者のみなさんだってアレでしょ、私が愛してやまかなった川村カオリが乳がんとの闘病の末38歳で早逝してしまったことなんぞ、すっかり忘れてるでしょ。「芸能人名誉毀損判決高額化」の先頭を切って芸能マスコミから少し恨まれ、なが〜く恨まれた大女優・大原麗子が亡くなったなんて忘れてるでしょ。

 いやあ、1955年以来続いた自民党独裁をひっくり返した大政変くらいしかのりピー報道に勝てるニュースはなかったんだから、さすがだね、らりピーは。じゃなかった、のりピーは。

 でもひとつわからんことがある。なんでみなさん歌手や俳優の私生活に「モラルのお手本」なんて求めるの?

 警察とか新聞なんぞマジメに「芸能界も薬物の一掃に真剣に取り組むべきだ。今回のような人気タレントの事件が続けば、安易に薬物に手を出す風潮に拍車をかけかねない」(讀売)なんてぬかしとる。わはは。ほとんど寝言以下ですな。

 言うのも馬鹿馬鹿しいけど、ミュージシャンや俳優、画家や小説家とか表現者(古風に言うと芸術家だな)の私生活なんて、どうでもよろしい。

 すぐれた作品を生んでいるのなら、本人は社会落後者でも犯罪者でもええのとちゃいますか。作品だけで評価すればいい。

 もとより芸術家ってのはそういう「法律」とか「道徳」とか、社会のマジョリティが合意した価値観とは別の価値世界を表現するのが仕事じゃないですか。

 詩人のウイリアムズ・バロウズなんかへろへろのジャンキーだったし、ウイリアム・テルの真似して奥さんの頭に林檎乗せてピストルぶっ放して殺しちゃった、とかムチャクチャなじーさんですが、彼の文学作品の価値は微動だにせんね。

 アメリカでミュージシャンや俳優がドラッグやろうが拳銃ぶっ放そうが、まあスーパーのレジ横で売ってるタブロイド誌やケーブルTVのワイドショーは大騒ぎでしょうが、それでDVDやCDを回収するだとか、事務所やレコード会社クビになるなんてありえない。

 ドラッグのリハビリやって復帰した人、多いっすよ。その方が青少年が立ち直るお手本になるしね。

 そのへん、アメリカ人の友だちに聞いたら「モラルのお手本を社会に示すのは聖職者や宗教家の仕事であって、芸術家の仕事じゃない」と即答された。なるほど。

 じゃあのりピーもそうかって言うと、苦しいね。だってのりピーは歌手としても俳優としても、創造性も独創性もないから。芸術家だなんてとても言えない。作品だけでは勝負できないんです。

(あ『いただきマンモス』はなかなかクリエイティブなギャグやった)。

 じゃあ彼女は何だったのかというと、日本独自の「メディアキャラクター」としか言いようのない存在ですな。

 業界では昔「タレント」、最近ではいちびって「アーティスト」などと呼びます。

 つまり「歌または映画またはドラマで人気者になる→企業のテレビCMや商品のキャラクターになる→また人気アップする→最初に戻る」と「歌ドラマ映画→商品宣伝」というマスメディア上のサイクルをぐるぐる循環する職業。

 悲しいかな、このメディア・キャラクターさんたち、表現者のフリはしてるが、拠って立つ「自分の作品」ってのがない。ただマスメディア上での「大衆の認識」という、得体の知れない、実体のないモンだけがその商品価値なんです(これは精神的に空疎でツラいやろなあ)。

 あ、そうか。わかった! 誰ものりピーを歌手や俳優として評価なんかしてなかったんですね!

 メディア・キャラクターだからこそ、私生活で法律違反すると「大衆の認識」が総崩れになる。もともと商品宣伝にがんがん使われていただけに「パッケージには品行方正・清純なアラフォーママだと書いてあったじゃないか」って「騙された感」で消費者は怒る。商品購買だから、契約違反ですわな。

 そうすると、日本人の消費者はけっこう賢くのりピーを見抜いてのかもしれんなあ。(敬称略)

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何がマイケル・ジャクソンを殺したのか?〜オバマとマイケル・ジャクソン/二人のアフリカ系の人生 [「正論」(産経新聞社)]


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 2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが死んだ。

 51歳の誕生日まであと2ヶ月。ロサンゼルス西部の高級住宅街ベル・エアの自宅で、正午過ぎ、ダンスのリハーサル中に倒れ、搬送先の病院で約2時間後に死亡が宣告された。倒れた時、そばにいた救急医が手当てをしたが、すでに心拍停止状態だったらしい。

 彼の歌手・ダンサーとしての巨大な業績はもう繰り返す必要もないだろう。

 楽曲やミュージックビデオ、コンサートで生涯に得た収入は五十億ドルと推定されている。ラオスやモンゴルの年間GDPに匹敵する金額だ。

 世界で七億五千万枚のレコードを売り、グラミー賞を十三回受賞し、全米トップシングルを十三曲生み、レーガンと父ブッシュと二人の大統領にホワイトハウスに招待された。いずれも前人未到の記録だ。今後も破られることはないだろう。

「ムーンウオーク」など、まるで全身が精密機械でできたかのようなダンスは、それまでのステージパフォーマンスの常識を塗り替えた。そのダンスを生かした完璧なステージングは、世界中に亜種を生んだ。日本でいえば、浜崎あゆみもEXILEもマイケル・ジャクソンなしにはありえない。ポピュラー文化に残した足跡の大きさでは、エルビス・プレスリーやビートルズと並ぶ存在といえるだろう。

 とはいえ、ここ数年の音楽活動は低調だった。最後にコンサートツアーをしたのは一九九七年で、最後のアルバムを出したのは二〇〇一年。アメリカでは完全に「過去の人」扱いされていた。

 死去報道を見て「マイケルって五十歳だったの?」と驚いた人も多いのではないだろうか。「スリラー」や「ビート・イット」の華麗なダンスと歌で世界を魅了したのは一九八二年。もう二十七年も昔なのだ。

 十二年という長いブランクのあと、七月十三日から来年三月まで五十回、カムバックをかけたコンサートをロンドンで開く予定だった。ワールドツアーの計画も予定されていた。

 コンサートのタイトルは”this is it.”「やった!」という意味と「これでおしまい」という二つの意味がある。引退を予定していたのかもしれない。ただでさえ激しいダンスを伴うステージである。年齢的にも限界だったのだろう。それに近年は健康状態の悪化が報じられていた。その練習中に倒れて、現場で心停止してそのまま帰らぬ人になってしまった。病院に運び込まれたとき、体は痩せ衰え、カツラの下にはうぶ毛ほどの毛髪しかなかったという。

 ところで、七月七日、マイケル・ジャクソンの追悼式でアメリカ中のメディアが塗りつぶされていたとき、もう一人の「世界一有名なアメリカ人」がアメリカの五大ネットワークテレビの個別インタビューを受けていた。イタリアでの先進国首脳会議に先立ってモスクワを訪れていたバラク・オバマ米国大統領である。

 インタビューは各局個別だったのに、どの局も判で押したように同じ質問をした。それは米ロ間の核弾頭削減の合意でもサブプライムローン危機克服のための国際強調でもなかった。「マイケル・ジャクソンの死をどう思いますか?」だった。大統領自身が「きょうテレビで放送してもらうためにはどうしてもマイケルの話をしなくちゃならんようだね」とジョークを放ったほどである(ABCテレビ)。

 AP通信からもマイケル・ジャクソンについての質問が出たとき、オバマ大統領は「またか」と言わんばかりに手を振りながらこう言った。

「私も彼の音楽と共に育ちました。私のiPodには今でも彼の曲が何曲か入っていますよ。彼のパフォーマーとしての才能はいつも、悲劇的な個人生活と対になって語られていますよね。でも、これから人々の記憶に残るのはその才能を通じた素晴らしい作品です。これは大変嬉しいことです」

 もちろん、プレスが揃ってオバマにジャクソンの死を質問したのは、オバマがジャクソンと同じアフリカ系で、他にも共通点が多いからである。が、期待に反してオバマの言葉には、ジャクソンへの感情移入は微塵もなかった(大統領という公職からすれば当然のことなのだが)。

 確かに、マイケル・ジャクソンとバラク・オバマには共通点がいくつかある。

 まずジャクソンは一九五八年生まれ。オバマは六一年生まれで同世代である。そして、地元が同じ中西部のミシガン湖畔。ジャクソン一家(マイケルを含む『ジャクソン・ファイブ』、マイケルにとっては姉のラトーヤ、妹ジャネットは全員歌手という芸能一家。マイケルは九人姉弟の七番目)が生まれ育ったインディアナ州ゲイリーという街は、オバマの地盤・シカゴから車で一時間も離れていない

(オバマはハワイ生まれだが、シカゴを地盤に上院議員に当選。大統領選挙の勝利宣言をしたのもシカゴだった)。

 ところが、事実をよく検証すると、オバマとジャクソンは同じアフリカ系でありながら、正反対の極にいたことがわかる。一九八三年、オバマがニューヨークのコロンビア大学を卒業してシカゴに来たのは、製鉄業が衰退して失業者が激増、荒廃したコミュニティを再建する社会福祉活動をするためだった。米国中西部、五大湖周辺はミシガン州デトロイトの「ビッグ・スリー」で知られるように、機械・製鉄・自動車産業の中心地なのだ。

 ジャクソン兄弟の父、ジョセフは、まさにそうした製鉄工場で働く工場労働者の一人だった。そもそもジャクソン一家の故郷ゲイリーという街が「USスティール」が従業員のための住宅街として開発した企業城下町であり、人口約十二万人うち81%がアフリカ系だった。時間と場所がほんの少しずれていたら、マイケル・ジャクソンの家を運動家オバマが署名集めに訪問していたかもしれない

(もちろん、オバマがシカゴに移ったころにはジャクソン一家はすでに歌の世界でスーパースターだったから、ジャクソン一家とオバマに実際の接点はない)

 オバマは、コロンビア大とハーバード大ロースクールという東部アイビーリーグの名門(白人比率が非常に高い)で学んだ典型的な「ブラック・ミドルクラス」(七〇〜八〇年代に出現した高学歴のアフリカ系中産階級)である。

 それに対して、ジャクソン一家は黒人街に住む「低学歴・低所得のブルーワーカーマイノリティ」だった。旧時代の差別と貧困を背負ったアフリカ系アメリカ人といってもいい。

 つまり、オバマとジャクソンは、同じアフリカ系でありながら、社会の最上部と最底辺にいたのである。

 この「アフリカ系内部の格差」が日本人にはなかなか理解しづらい。三十年ほど前から、アフリカ系の内部では「富める者と貧しい者」の二極分化が進行しているのだ。

 そうした意味で、初のアフリカ系大統領バラク・オバマが誕生した年に、もう一人の世界一有名な「アフリカ系アメリカ人」マイケル・ジャクソンが死んだのは、非常に象徴的だ。

 ジャクソン一家は、アフリカ系アメリカ人の歴史教科書のような運命をたどっている。

 第二次世界大戦後、アメリカ南部の主産業だった綿栽培が機械化されたため、アフリカ系農業労働者が大量に失業、工業労働者として中西部に移住した。

 マイケルの父ジョセフ(一九二九年〜 )もその一人だ。深南部アーカンソー州に生まれ、戦後シカゴ周辺に移住。製鉄工場でクレーンのオペレーターとして働くようになる。ちなみに、アメリカ南部で生まれた黒人がシカゴに移住、マディ・ウオータースらエレクトリック・ブルースを世に出すのはちょうどこの時期だ。

 ジョセフの息子兄弟たちが「ジャクソン・ファイブ」を結成するのは一九六四年。六六年にマイケルがリードボーカルとして加わった。当時わずか八歳。小学校三年である。「天才少年」と呼ばれたマイケルの歌とダンス、ステージでの堂々とした振るまいは「四十二歳の小人」というニックネームがついた。マイケルの愛くるしい歌とダンスで、ジャクソン・ファイブは初の白人にも黒人にも愛される「アイドルグループ」として人気が爆発した(ジャクソン・ファイブをお手本にしたのが日本のフィンガー・ファイブだった)。

 そのころ、一九六〇年代といえば、黒人はじめマイノリティ差別を撤廃する公民権運動が燃え盛っていたころだ。まだアメリカ南部では白人・黒人の公共の場(バスやレストランなど)での座席の分離は当たり前だった。マイケルがリードボーカルとして活躍し始めたのは、ちょうどキング牧師の公民権運動がシカゴにも波及していたころ。南部でなくとも、シカゴやニューヨークといった都市部でも、白人と黒人は住む場所がはっきり分かれていた。

 マイケルのキャリアも、全国の黒人街のストリップ小屋やキャバレーを演奏して回る「チトリン・サーキット」(『チトリン』は南部黒人料理・豚のモツ煮込みのこと)から始まった。まだ黒人と白人は住む場所もラジオ局もレコード会社も別々。就職差別も当たり前だった。マイケルは年齢こそ若いが、こうした「黒人は二級市民扱いのアメリカ」を子どものころにプロの現場で体験しているのだ。

 アフリカ系への就労差別を皮肉るジョークにこういうのがある。

「黒人がゲットー(黒人街)を抜け出すには、三つの方法しかない。ミュージシャンで成功するか、バスケットボールの選手で成功するか、麻薬の売人で成功するかだ」。

 ブルースミュージシャンだった父ジョセフは、息子たちの音楽的才能を貧困と差別から抜け出す絶好の手段と捕らえたようだ。自ら息子たちのマネージャーになった彼は、子どもたちに決して自分を「お父さん(daddy)」とは呼ばせず、今日に至るまでJosephと呼ばせ続けている。

 この父ジョセフのおかげで、マイケル・ジャクソンは過酷な少年時代を送ることになった。それは今日なら「児童虐待」と呼ばれて当然の毎日だった。

 元ボクサーでもあったジョセフは、まるでボクシングジムの鬼コーチのようだった。マイケルをはじめ息子たちがダンスのステップや演奏、歌を間違えると、激しく大声で罵倒し、ベルトで殴り、足を持って逆さづりにして尻や背中を殴ったり、力いっぱい壁に押し付けたりの暴力を振るった。練習中はいつも、最前列でベルトを手に座り、息子たちをにらみつけていた。

 二〇〇三年、イギリス人ジャーナリスト、マーチン・バーシアがマイケル・ジャクソンに八ヶ月間かけて取材したインタビュー番組”Living with Michael Jackson”で、この父の虐待の記憶について聞かれたジャクソンは、本番中に顔を覆って泣き始めた。

「怖かった…言葉にならないくらい怖かった…そこらへんにあるもので手当たり次第に殴るんだ。父が憎かった…ものすごく憎かった…父を見ただけで気分が悪くなって…よく吐いた。父を見たとたんに気絶してしまって、ボディガードに支えてもらったこともある」

 もうひとつ、父ジョセフがマイケルに残した精神的外傷は「醜形恐怖症」である。小学生の「かわいい坊や」から思春期に成長したマイケルは、顔にデコボコができるほどのひどいニキビに悩まされていたのだ(よく見ると、四十歳を過ぎても彼の顔にはあばたが少し残っている)。

「どんな子どもだって、思春期は悩み、苦しむもんだよね。大人になるにつれて、キュートな子どもじゃなくなるから。でも僕の場合、ファンやマスコミは永遠にキュートなままにしておきたがったから」

「父にはよく僕のニキビをネタにいじめられた。『お前、ugly(醜い)だな』って。『鼻がでかすぎるの、自分でわからんのか?』とも言われた。本気で死にたかったよ。それでも何千人もの客を前にスポットライトを浴びなくちゃいけないんだよ。仮面を着けたかった。毎晩、寝室で泣いたよ」(前出インタビュー)

 このインタビューで、ジャクソンは今でも決して鏡を見ない、と言っていた。電気を消さないと顔も洗えないと言っている。スターのきらびやかな顔とは裏腹に、彼は自分の顔や容姿が大嫌いな、自己嫌悪の塊だったのである。

 もうひとつ彼の人格に深刻な影響を与えたのは、小学生のころから人気スターだったことだ。遊び盛りの小学生なのに、普通の子どもらしい時間を送ることが許されない。いつも大人にばかり囲まれている。よく寂しさのあまり一人で泣いた、と彼は言う。

「三時間ほど家庭教師と勉強をした後は、寝るまでずっとスタジオで録音なんだ。今でもはっきり覚えているけど、スタジオの向かいが公園でね。子供たちが大声で叫んだり走り回ったりしていた。でもぼくにはしなくちゃいけない仕事がいつもあった。悲しくて寂しくて、よく泣いた」(同)

「友だちをつくって家に泊まりに行ったり、連れ立ってぶらぶらしたり、みんなが当たり前だと思っていることが、ぼくにはなかった。友だちは一人もいなかった。兄たちがぼくの唯一の友だちだった」(同)

「ショウビジネスの世界は大好きだよ。でも、たまにはリラックスして息抜きしたい時だってある。南アメリカにツアーしたとき、みんな全員荷造りして出発しようという時に、ぼく一人が行きたくなかった。だから隠れて泣いていた。もう音楽なんかやりたくないと思った」(一九九三年、オプラ・ウィンフリーとのインタビュー)

 ジャクソン・ファイブが所属していたモータウンレコードの元重役スザンヌ・デ・パッセは言う。

「マイケルは子どもでいることができなかった。どこに行ってもファンに囲まれるから、リムジンに乗り、ボディガードなしではどこにも行けない。ぼんやり空を眺めに公園に行くことも、映画に行くこともできない。ものすごく大きな対価を支払ったと思うわ」

「ビート・イット」や「スリラー」といった巨大ヒットを放っても、ジャクソンはインタビューに応じることはなかった。一九九三年にオプラ・ウィンフリーのインタビュー番組に出るまで、十四年間も沈黙したままだった。

「子ども時代、父親、思春期…ぼくにっては過去の人生は悲しくてつらい話が多過ぎる…語るべき重要な話は何もないと思っていた」

 インタビュー画像を見ると、ふだんのマイケル・ジャクソンは、消え入りそうなか細い声で話す、おとなしい人物だ。立ち振る舞いは女性のように穏やか。華やかなジョークも、大げさなジェスチャーもない。内気で、人と話すのが苦手というのは本当らしい。「オフ・ザ・ウオール」「スリラー」のプロデューサだったクインシー・ジョーンズは、レコーディングの時の思い出をこう証言している。

「マイケルはものすごく内気だった。歌うときはソファの裏側に背を向けて座り込み、私は自分の両手で目を隠して、さらに明かりも消した」(『ニューズウィーク日本版』09年7月8日号)

 そして、自己嫌悪の強い人間によくある心理として、自己評価が極端に低いことも彼の性格の特徴だった。

「みんなが『すごい!天才だ!』というようなことをやっても、満足できたことがないんだ。モータウン二十五周年記念コンサート(一九八三年)で『ムーンウオーク』を初めてやった時も、終ってから楽屋で泣いていたんだよ。全然ハッピーじゃなかった」(ウィンフリーとのインタビュー)

 この激しい「自己嫌悪」と「醜形恐怖症」「失われた子ども時代」は後にマイケル・ジャクソンを駆り立てる「奇行」としてタブロイドジャーナリズムの餌食になる。が、そのことは後述する。

 ここで少し視点を変える。マイケルがジャクソン・ファイブからソロ活動に軸足を移し始めた七〇年代、アメリカでは重要な社会変化が起きていた。前述の一九六〇年代公民権運動の結果、人種共学を推進し、生活上(雇用など)での差別を人種禁止する「公民権法」がジョンソン政権下の一九六四年に成立した。さらに、一九七一年ニクソン政権は行政命令を出し、政府と取引のある企業に対して、エスニックマイノリティと女性の雇用増大のために年次計画を立て、実行することを要求した。

 この流れの中から六五年に生まれたのが「アファーマティブ・アクション」(AA)という制度である。AAとはつまり「それまで差別されてきたエスニック集団や女性に雇用・昇進・職業訓練・大学入学などの機会を積極的に与える制度」を言う。より具体的には、大学新入生や企業の採用者にエスニックマイノリティや女性ごとの「採用枠」=「指定席」を設けることだ。有り体にいえば少数派には入学や採用でゲタを履かせるのである。多くの場合、その地域と学内の人種・性別比率が一致するように求められる。この制度が急速に広まっていったのが七〇年代だった。

 その結果、どうなったのか。アフリカ系の大学進学率が上がり、専門職に就く人が増え始めたのである。一九六〇年代初めまでの中産階級の仕事は、教員、聖職者、医師、法律家、ソーシャル・ワーカーなど少数の仕事しかなかったが、七〇年代半ば以降は白人と同じホワイトカラーの仕事が増えた。会計士、エンジニア、セールス・マネージャー、警察官、科学者、建築家など六十五種類以上にも上っている。

 こうして、六〇年代にはアフリカ系人口のうち一三%にすぎなかった中産階級(年収二万五千ドル以上)は七六年になると三〇%へと増大し、八一年には三八%弱にまで成長した。(日本国際問題研究所編『現代アメリカ エスニック状況の現在』)。これが「ブラック・ミドルクラス」の出現である。

 さらに、二〇〇〇年の国勢調査によると、九〇年からの十年間でアフリカ系家庭の平均世帯所得は二五・八%増加。これは非ヒスパニック系白人の四倍以上のスピードである。三百七十万人のアフリカ系が年収五万ドル以上で暮らし、百四十万人は七五千万ドル以上の上層階級として暮らしている。つまり日本人にありがちな「アフリカ系アメリカ人はみんな差別と貧困に苦しんでいる」などという認識は時代遅れもいいところなのだ。

 ただひとつ注意しなくてはならないのは、同じアフリカ系の中でも所得が二極分化していることだ。

 一九九〇年の国勢調査によると、年収二万五千ドル以上の中産・上流階級は四六・九%を占める反面、それ以下の層が五三・一%と半分を超えている。これが白人の場合だと中産階級以上が七〇%近いので、アフリカ系の場合は所得格差がより激しいということになる。

 つまり、AAが普及した八〇年代以降のアメリカで対立軸になっているのは「白人vs黒人(非白人)」という「人種問題」ではなく、「富める者vs貧しい者」という経済格差だと言ったほうがいい。要は現在の日本の「格差社会」と同じなのだ。

 こうして考えると、オバマ大統領は典型的なアファーマティブ・アクション世代だということにお気付きだろうか。一九六一年に生まれ、一九八〇年前後に学生生活を送ったオバマにとっては、アファーマティブ・アクションはすでに当たり前の社会制度だった。そしてハーバード大学ロースクールという全米トップスクールを出た弁護士であるオバマ自身が、典型的な「ブラック・ミドルクラス」だ。

 そしてオバマは、同じ「黒人」であっても、ジャクソンのような典型的なアフリカ系とはかなり違った人種バックグラウンドの持ち主だ。まず、父親はケニアからの留学生で、先祖は奴隷ではない。母親は白人の文化人類学者。両親が離婚、母親がインドネシア人と再婚したため、幼少期をインドネシアというイスラム国で過ごした。そして母方の祖母である白人家庭で育てられたため、白人的な価値観の中で育った。

 オバマが大統領にまでなれた理由のひとつとして「黒人を犠牲にしてきたアメリカの歴史や主流社会への恨みがないこと」がよく言われる。

 つまりアフリカ系であっても、白人(厳密に言うとWASP=キリスト教プロテスタント派アングロサクソン)への復讐心がない。「過去に犠牲にされたのだから、今は特別扱いされて当然」という「被害者意識」や「特権意識」がない。これはアメリカ社会の主流であるWASPが警戒心なく支持できる資質だ。

 これはオバマ一人が特殊なのではない。いま「アフリカ系アメリカ人」にはラテン系もいるし奴隷制度廃止後にアフリカから移民した層もいる。顔が「黒人」であっても、そのバックグラウンドは「みんな奴隷の子孫」とは括れない。その多種多様ぶりは日本人の想像を超える。それがアフリカ系アメリカ人の現況なのだ。

 そうした新世代のアフリカ系を代表するオバマに比べると、マイケル・ジャクソンはあまりにも典型的なアフリカ系アメリカ人だった。

 彼が八歳のときに入った芸能界には、アファーマティブ・アクションなどなかった。当時のアフリカ系アメリカ人にとって、芸能界で成功することは数少ない社会的成功の突破口だった。

 マイケル・ジャクソンはそんな旧世代のアフリカ系の意識をずっと引きずっている。普段は隠していても、激高すると本音が出る。例えば、二〇〇二年にソニー・ミュージックエンタテインメントともめた揚げ句に契約を打ち切ったとき、ジャクソンはソニーのトミー・モトーラ社長を「アフリカ系アーティストをサポートしようとしない人種差別主義者、悪魔」と口を極めて罵倒している。

 さて、大スターになったジャクソンは、一九八八年に邸宅をロサンゼルスの北西百五十キロに千七百万ドルで購入する。ここを彼は「ネバーランド」(『ピーターパン』に登場する永遠に成長しない子どもだけの国の名前)と名付けた。

 十一平方キロの敷地には動物園や観覧車、メリーゴーラウンドに映画館、ゴンドラ列車までが設置され、邸宅というよりは遊園地のようだ。そして三週間に一回、病気や貧困で恵まれない子どもたちのグループを招いては自ら子どもたちと一緒に遊んだり自宅に泊めたりしていた。

「みんな『どうしていつも子どもと一緒にいるの?』って不思議がるんだけど、今僕は昔ほしくても得られなかったものを埋め合わせようとしているんだと思う。子どもたちを通じて、ぼくは自分が得られなかったものを見つけた。遊園地やゲームセンターに行きたくてたまらなかったのに、僕にはいつも仕事しかなかった。コンサート、レコーディング、インタビュー、テレビ出演、写真撮影。いつもやらなくちゃいけないことがあった」(ウィンフリーとのインタビュー)

 インタビューの合間に子どもたちと遊ぶジャクソンの姿を見ると、インタビュー中よりはるかにリラックスして、ずっと楽しそうだ。彼は「成長を止めた子ども」と自分で認めているから、心を許せる相手は子どもしかいなかったのだろう。

 ところが、これがスキャンダルの火種になる。一九九三年、ジャクソンはネバーランドに招待したジョーダン・チャンドラーという十三歳の少年に性行為をした、と本人と父親から民事・刑事両方で訴えられる(翌年一月にジャクソンはチャンドラー側に二千二百万ドルの和解金を支払い、刑事告訴も取り下げられた)。二〇〇三年には、これも招待客のひとりガビン・アルビゾという少年に性行為をした疑いで告訴される。

 ジャクソン自身は「幼児性愛者」というより「子どものまま精神発達が止まった大人」というほうが正確だったらしい。彼の精神鑑定をしたスタン・カッツ医師は「彼の精神は十歳児に退行していて『幼児性愛』には適合しない」と診断した。

 二〇〇三年のインタビューでも「四十四歳の大人が子どもとベッドを共にして不適切だとは思わなかったのですか?」と問われ「『ベッドを共にする』というと性的なことだと思っているでしょう?性的なことなど何もありません。子どもたちとおしゃべりをして音楽をかけて、本を読んであげたり、暖かいミルクとクッキーをあげたり。素晴らしいじゃないですか。世界中がそうすればいいのに」と真顔で言っている。これはおそらく「自分がしてほしかったこと」を無意識に実行していたのだろう。

 しかし、ワイドショー的なタブロイドメディアを中心に、世論のバッシングは凄まじかった。それまで、マイケル・ジャクソンといえば暴力や性を歌うことがない「安心して子どもに聞かせることのできる音楽」というイメージが強かっただけに、反発も大きかった。

 ひとつバッシングが始めると、連鎖的に他のバッシングが始まるのは日本もアメリカも変わらない。ジャクソンの肌がどんどん白くなったり、鼻や顔の輪郭が白人風に変貌した現象は「彼は黒人である自分を嫌い、白人になろうとして整形手術をしている」「皮膚を漂白したり移植したりしている」とアフリカ系から激しく非難された。

 本当は「白斑」という皮膚病のせいで皮膚の色素が抜け落ちて白い斑点があちこちに現れるため、白いメークを塗って隠していたらしい。インタビューでもそう話している。「自分はアフリカ系であることを誇りに思っているのに、あんまりだ」とインタビュー中に激高して泣き出したほどだ。ただ、父親に罵倒された鼻だけはどうしてもコンプレックスだったらしく、整形手術を二回受けたと認めている。

 元々気の弱い人だったのだろう。唯一の慰めだった「子どもと遊ぶこと」がスキャンダルになったことも、彼の精神を追い詰めた。

 一回目のスキャンダルのさなかに毎晩電話で彼と話していたリサ・マリー・プレスリー(エルビスの娘。一九七五年からの幼なじみ。九四年に二人は結婚し二年後に離婚)は当時ジャクソンが「興奮して話のつじつまが合わなくなり、妄想的になっていた」と後に話している。抗うつ剤や精神安定剤、睡眠導入剤を常用するようになった。不眠やパニック障害の症状が悪化していた。

 そして年齢も四十歳を超えるころになると、「ビート・イット」や「スリラー」の頃、二十代前半のような激しいダンスに体がついてこなくなってくる。関節炎や筋肉炎、けがが絶えず、それでもダンスを続けるために、鎮痛剤を常用するようになる。痛みを紛らわせるための鎮痛剤はどんどん強い薬品になり、最後はモルヒネ(アヘンの精製物。末期癌患者の鎮痛剤に使う)まで使っていた。

  不運なことに、三十歳代の中頃、ジャクソンは「全身性エリテマトーデス」という免疫疾患(膠原病の一種)にかかっていた。皮膚や内臓にいつも炎症が起きては激痛が走るという症状に悩まされた。これもジャクソンの「鎮痛剤依存」に拍車をかけた。

 こんな状態ではまともな音楽活動ができるわけがない。収入も減る。

 十二歳で月に二十万ドルの小遣いをもらっていたというジャクソンの金銭感覚は常人離れしていて、前述の”Living with Michael Jackson”では、ラスベガスの高級骨董品店にふらりと立ち寄り「あれと、これと、あれちょうだい」と指さしながら、あっという間に六百万ドル分の買い物をする姿が記録されている。

 こうした生活を続けていたため、楽曲の著作権を担保にした二億七千万ドルの借金が返せなくなり、二〇〇六年には「ネバーランド」を不動産投資会社に売却し、家賃月十万ドルの借家に移った。

 醜形恐怖症だったジャクソンは、「ダンサーらしい体形を維持するため」と太ることを極端に恐れ、極端な菜食主義と小食に走り、晩年はほぼ拒食症に近い状態だった。そのため、ダンスの途中で気を失うことも度々あったらしい。

「ビリー・ジーン」「スリラー」「ビート・イット」といった楽曲が世界的な人気を得たのは、ジャクソンの人間離れしたダンスがMTVを通して世界に流れたからだ。彼はポピュラー音楽を「聞くもの」から「見て、聞くもの」に変えた。これはポピュラー音楽の歴史を塗り替えた偉業である。

 だが、その音楽は徹底して視覚重視だったがゆえに、ジャクソンは中年になっても肉体を酷使して踊り続けるしかなかった。「外見」に病的に執着せずにはいられなかった。「歌って踊ること」にしか彼のキャリアはなかったのだ。

 それは、一九六〇年代という旧時代に職業を選択した五十歳のアフリカ系アメリカ人の悲劇だった。

(月刊誌『正論』09年9月号)

↓下にお勧めできる資料を列挙しておく。「ライブ・イン・ブカレスト」は加工なしのライブ映像記録。本当にあの精密機械のようなダンスをライブでやってしまう姿が驚異的である。

"Michael Jackson: The Magic and the Madness" はマイケル・ジャクソンの伝記として視点が公平な数少ない一冊。取材が手厚い。


ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]

ライヴ・イン・ブカレスト [DVD]

  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • メディア: DVD



スリラー

スリラー

  • アーティスト: マイケル・ジャクソン,A.バーグマン,M.センベロ,R.テンパートン,J.イングラム,M.バーグマン,D.フリーマン,S.ポーカロ
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2001/10/31
  • メディア: CD



Michael Jackson: The Magic and the Madness

Michael Jackson: The Magic and the Madness

  • 作者: J.Randy Taraborrelli
  • 出版社/メーカー: Pan Books
  • 発売日: 2004/06/04
  • メディア: ペーパーバック



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シブヤはいかにして全国を覆ったのか〜全国総シブヤ化現象 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

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 90年代初頭、私が東京に住んで初めて知ったのは、渋谷〜原宿〜表参道が、歩いて回れるひとつながりのゾーンだということだ。

 それまで私が東京の外から「東京発の最先端文化」と認識していたファッションや音楽、ダンスといった若者文化(ルビ:ユース・カルチャー)のほとんどは、実はこの「渋谷〜原宿〜表参道ゾーン」から出ているということもわかった。

 それは「ニューヨーク発の最先端文化」と世界で呼ばれる音楽やファッションの大半が、マンハッタン南部の「グリニッジ・ビレッジ〜ソーホー〜トライベッカ〜チェルシー」というひとつながりのゾーンから出てきたのと似ている。

 この「渋谷〜原宿〜表参道ゾーン発文化」を指す名称として「シブヤ文化」という言葉が成立するのは1980から90年代にかけてだ。JR渋谷駅周辺を指す固有名詞(地名)としての「渋谷」ではなく「渋谷〜原宿〜表参道ゾーンから生まれる若者文化すべて」を指す普通名詞「シブヤ」が流通し始めたのだ。

 例えば、オリジナル・ラブ、ピチカート・ファイブなどの一群のミュージシャンが「渋谷系」と総称され、隆盛を極めたのは90年代前半である。今や”SHIBUYA”という言葉は国外にも広がり、外国人観光客が「クール・ジャパン」をシンボライズする場所としてまず訪れたがるのは「シブヤ」だ。

 実は70年ごろまで、若者文化の発信地は新宿だった。渋谷一帯を「流行最先端の街」に変貌させる最初の種を蒔いたのは、西武・セゾングループが1973年にオープンした「パルコ」である。

「百貨店は駅ビルに出店する」のが常識だった当時に、駅から坂道を500メートル上がり、渋谷区役所しかない殺風景な「区役所通り」にパルコを出店するというリスキーな戦略を同社は取った。

 パルコが斬新だったのは、この駅から遠いというハンディを逆手にとって「パルコ周辺の街」そのものを広告空間にしてしまったことだ。開店から1ヶ月、原宿駅(渋谷駅ではなく)からパルコまでクラシックな馬車が客を送迎した。街頭には「VIA PARCO」(パルコ通り)のバナーが街灯に連なり、ウォールペイントが街を飾った。パルコパート2、スタジオパルコが完成した80年代初頭には、公園通り(パルコとはイタリア語で公園のこと)一帯は「パルコ空間」に変貌、渋谷一帯の人の流れは激変してしまった。

 当時のパルコの広告コピーは「すれちがう人が美しい 渋谷=公園通り」である。

 地方のショッピングモールをはじめ「街」そのものを消費空間にしてしまう手法は、今ではごくありふれた戦略だ。が、街そのものを「ステージ」にして「ファッションを見せる場」にする手法は、パルコが元祖だったのである。

 このパルコの大成功をライバル社が黙って見逃すはずがない。

 東急が、終戦直後の焼け跡街の雰囲気を残していた渋谷駅直近の「恋文横丁」を再開発し、ファッションビル「109」をオープンしたのが1979年。「109-2」「bunkamura」がそれに続いた。

「マルキュー」こと109が後に90年代の「ギャル文化」の発信地として果たした巨大な役割はもう説明するまでもないだろう。

 こうして渋谷全体が「パルコ空間化」していた前後、今度は隣接する原宿に森ビル系列会社が「ラフォーレ原宿」を1978年にオープンする。

 パルコやラフォーレ原宿は、大都市圏だけでなく宇都宮松山、新潟、熊本、大分といった地方都市にも積極的に出店を展開した。その内部には「シブヤ文化」を代表するファッションブランドや、音楽テナント(HMVやタワーレコード、クラブクアトロなど)が入っていたので、90年代には全国の地方都市に「疑似シブヤ空間」が出現、「シブヤ文化」を全国に伝播する「伝道所」として機能した。

 だから90年代以降、地方都市で生活する若者でも、音楽やファッションのセンスは東京圏とそれほど差がない。私はこれを「全国総シブヤ化現象」と呼んでいる(拙著『Jポップとは何か』岩波新書)。

 ところが、こうして「シブヤ」が全国に飽和し、大衆化し切ってしまうと、本家のシブヤはそこから一歩先に変貌する必要に迫られた。そうでないと「最先端」から転落するからだ。

 ところが不幸なことに90年代後半から「シブヤ文化」の主役だった「音楽」はCDの売り上げが急落して失速してしまった。その代わりに主役に座ったのが「ファッション」だった。

 が、その舞台は以前と変わらず「渋谷〜原宿〜表参道ゾーン」であり、その「表通りから一歩入った裏通り」に若いクリエーターたちが始めたブランドやショップが「裏原系」だった。

 ファッションでは主役の「ウラハラ」という名称も、まだ「シブヤ」を蹴落とすほどの言葉の流通力はない。

 一方、アニメ、まんが、ゲームが日本発若者文化の王座に就いたため「アキハバラ」が国際的な知名度を広めている。

 2010年代、日本の若者文化を象徴する地名はどこになっているか楽しみだ。

33ヶ月ぶりに「ぼさーっと」した [オリコン裁判]

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いつも都内の移動に乗り回しているMTB(マウンテンバイク)のブレーキワイヤーが伸びてしまったので、近所のバイシクルショップ(要するに自転車屋ですな)に修理に持っていった。

「これは1時間ほどかかりますね」

店のお兄ちゃんにそう言われてチャリを預けてしまうと、次の用事を片づけようにも移動の手段がないことに気付いた。しょうがない。あきらめた。

ふと、カフェがあることに気付いた。

じゃあ、本でも読むか。

カプチーノのミディアムを受け取って、テラス席に腰を下ろす。

そして本を開いた瞬間、脳がまったく働かないくらいの疲労感がどっと押し寄せてきた。

一体、どうしたんだ?

目は活字を追っているのだけど、その「意味」が全然頭に入ってこないのだ。

わかってもらえるかな。

「文字を読んでいる」ではなく「文字を見ている」という感じなのだ。

しょうがないので、本をカフェテーブルに放り出して、ただぼんやりと、前を通りすぎる人々を眺めることにした。

脳のハードディスクが停止して、プログラムが何も作動しない。

そこで気がついた。

オリコン裁判のせいで、ずっと「ただぼんやりする」という時間が、33ヶ月なかったことを。

「ねえママ、キンニクエンってなーに?」
「筋肉炎てのはね、体が疲れることなのよ」

隣のテーブルの女の子お母さんと話す声が耳にはいってくる。が、それはただ「音」として脳に届いているだけだ

キ。ン。ニ。ク。
ニンニク
ブタニク。
シンジュク。
ソントク。

何だそりゃ?

ぼくの脳は、言葉の意味を理解することを拒否していた。

もう俺は疲れた。休む。これ以上働いたら、こわれてしまいそうだ。

ぼくの脳はそう言って「強制休止」に入っていた。

そうだ。

1年ぶりの夏休み、プールに飛び込んだこどもが水のひやりとした感触を思い出すように、ぼくの脳はあの動作を思い出していた。

「ただぼんやりする」という動作を思い出していた。

オリコンがぼくを名誉毀損で提訴してから、ぼくの脳は「ぼんやりすること」を許されなくなった。

「△さんの証言は弁護士に話したっけ?」
「法廷に×月×日の行動は証拠提出されていたかな?」
「帰ってメールで確認することは、あれとあれとあれと、後は何だっけ?」

いつもいつも、脳がフル回転していた。

それを「心配事」とか「気掛かり」とか「心の重荷」と日本語ではいうのだろう。

オリコンが裁判をぼくに起こしたとき、彼らはこう言った。

「烏賀陽は事実誤認に基づいて根拠のない誹謗中傷をオリコンに繰り返した」

その瞬間から、この裁判は、ただの裁判ではなくなった。

ぼくがいちばん大切なものを争う裁判になった。

それは「記者としての職業生命」というやつだ。

それはぼくが生きてきた中で、いちばん大切にしてきたものだ。

例えば、自分の子どもがいる親なら、自分の子どもを傷つけたり、命を奪おうとするものには、必死で、あらゆる犠牲を払ってでも、抵抗するだろう。

それと同じだ。ぼくにとって「書き手としての信用」は子どもと同じくらい大切なものだ。

この裁判は、すべてが自分の職業生命をかけた勝負なのだ。一点のミスも許されないのだ。

子どもを誘拐された親が夜も眠れなくなるように、ぼくは33ヶ月間、一瞬も心が休まることのない時間を送ることを強制された。夜は眠れず、寝てもすぐに目が覚めた。昼間はいつも裁判の段取りのことばかり考えていた。何か忘れていないか、いつもいつも気がかりだった。

そして33ヶ月が経って、裁判はオリコンが自滅して終った。

ぼくの大切な子どもは、誘拐されたけれど、無事に帰ってきたのだ。

その瞬間が来て、ぼくは思い出した。ぼくが33ヶ月間、何を失ったのかを。

それは「ただぼんやりとする」ということだ。
それは、脳がゆっくり休んで、次の日のためにエネルギーを取り戻すことだ。

それを失うことが、どんなにつらいことか。

ぼく自身、忘れていた。「ぼんやりすること」がどんなに心地よいことか。

きょう、この街角のカフェで、それを思い出した。

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オリコン裁判が係争33ヶ月で終結。オリコンの敗訴宣言で烏賀陽逆転勝訴 [オリコン裁判]

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8月3日月曜日、東京・霞が関にある裁判所内の司法記者クラブで記者会見しました。

会見席からマスコミのみなさんを見るとこういうふうに見えます。
着席してから会見開始までの数分の間に、ケータイで撮影しました(笑)。
もうここでのオリコン裁判会見は3回目なので慣れてしまいました(笑)。

最高裁の統計を調べたら、平成19年度で「請求放棄」で終る訴訟は全体の0,1%、つまり1000分の1しかない。しかも一審で勝っているオリコンが「自己敗訴宣言」するんだから、日本の裁判の歴史に残る珍事ですなあ。

しかし、33ヶ月間も裁判やってたんだなあ。民事訴訟の進行をナマで観察し、裁判官と直に話し、弁護士とコラボレートした。これはすげえ貴重な密着取材だった!と思う。こんな体験している記者、ほかにまずいないもの。

一生ものの宝物。ライフワークがもうひとつできました。そう思えば「言論の自由をめぐる裁判研修」という「神様の人事異動」だったのかも。

応援してくれた人があまりに多すぎて、ちゃんとお礼を言い尽くしているのか心配だ。

この裁判はインターネットなしには勝てなかった。

オリコンが私を提訴しても、マスメディアはどこも気付かなかった。

サイゾー編集部に東京地裁から訴状が届き(オリコンはサイゾーを訴えていないのになぜサイゾーに烏賀陽を提訴した送ったのかな?よほど仲がいいと思ったんでしょうか=笑)、ぼくは英文と日本語の両方で、SOSのメールを500通以上ばらまいた。

そして自分のウエブサイト「うがやジャーナル」で提訴の詳細を日本語と英語でレポートした。

ぼくは文字通り必死だった。

こちらには、おカネも組織もないのだ。丸腰の非戦闘員なのだ。

そんなちっぽけな「じぶんメディア」以外に誰かにこのオリコンが仕掛けてきた民事訴訟を悪用した暴力を知らせる方法がないのだ。

ぼくはたったひとり、真夜中にミサイルが飛んできて家を破壊されたパレスチナ人のように、脅え切っていた。

巨大で邪悪な力が、闇の中にいた。姿は見えないけれど、肉食獣のような息づかいが聞こえる。

そしてぼくは丸腰で、独りぼっちだった。

だから、その時は思わなかった。

ウチのマックG5(4年前のおんぼろ)のEntourageが発信した500通のメールが、転送に転送を重ね、ブログからブログへと引用され、最後は巨大な竜巻のような渦になるなんて。

オリコン提訴の第一報を書いてくれた毎日新聞の石田宗久記者は、何と福岡市在勤の経済記者だった。何重にも転送されたぼくのメールを読んだ石田記者は、提訴の異常ぶりに気付き、すぐ東京に電話をして取材したうえ、東京本社社会部の司法担当記者と話し合って記事を出稿したのだ。

ぼくのメールを受け取った旧知のカナダ人ジャーナリストの紹介で、東京・有楽町にある日本外国特派員協会(FCCJ)にコンタクトが取れた。FCCJは、快くぼくの記者会見を許可してくれた。

「取材に答えて引用されたソースだけが名誉毀損で訴えられるなんて、そんなバカな話があるもんか」
「なんで記事を書いた人間が訴えられないのか?」
「記事は書いた人間に責任があるに決まっているじゃないか。そんなことも理解されてないのか?」
「オリコンのやっていることは、さっぱり理解できない」

外国人ジャーナリストたちはそろって憤激した。そして世界中にニュースが発信された。

その中に、フランスのLiberation紙の東京特派員Michael Tennan記者がいた。Tennan記者が書いた記事を読んで、すぐに国際NPO「国境なき記者団」(RSF)がコミュニケを出した。

「この提訴が言論の自由の妨害であることは明白である」

 ぼくは独りぼっちで被告席に座った。でも、心細いと思ったことは一度もない。

 ぼくの後には、世界中の何百万人という人が付いてくれているのだ。
 「正義と真実はお前の味方だ」と言いながら。

 ぼくは自分の身に起きたことに驚いていた。ぼくはフランス語はまったくわからない。それどころか、パリに行ったことさえない。

 なのに、パリの人権団体が、地球の裏側の島国で無名のフリーランス記者が訴えられた訴訟を「これは民主主義への挑戦だ」と大声で叫んでいるのだ。

 もしパリで無名のジャーナリストが同じ目に遭ったら、ぼくたちは同じことができるだろうか?

 フランスやイギリスの新聞が報道してくれたので、ぼくはEUでは有名人になってしまったらしい。

 googleで"hiromichi ugaya"を検索すると、フランス語のブログが1ページ目にヒットしたりする。どこかで、顔も知らないフランス人が「オリコンはけしからん!ウガヤを支援するぞ!」と発信してくれているのだ。

(私はフランス語がさっぱりわからないので、勘違いだったらスミマセン)

「うがやさん、裁判って分かりにくいから、ビデオメッセージをYouTubeにアップしてみたらどう?」

 あるテレビ局の記者がそんなアイディアを話してくれた。三脚にDVカメラを置いて、自分で自分が話す姿を撮影すればいい。マックにiMovieってソフトがバンドルされてるでしょ? それでビデオをカットしたりテロップを入れたりできるよ。あ、一回の放送はできるだけ5分以内にね。飽きちゃうから。

 ぼくは唖然としてその話を聞いていた。YouTubeにアップ? 自分で?

 ヒマを見つけて彼の言う通りにしてみたら、本当にできてしまった。iMovieなんて使ったことがなかった。なのに、いじっていたらビデオ編集ができるようになってしまった。

 そうしてできたのがビデオブログ「うがやテレビ」だ。

 ぼくは23年間、文字を書くことを職業としてきた記者だ。そのぼくが、「じぶん映像ニュース」を
流してみて、その浸透力の強さに驚愕した。

 ある日、東京・吉祥寺のライブハウスを取材で訪ねたら、リハーサル中だったギターの男の子がぼくの姿を見つけて駆け寄ってきた。そして弾む息でこう言ったのだ。

「うがやさんでしょ?」
「はい?」
「いつもYouTube見てますよ」
「はい!?」
「裁判、がんばってくださいね」
「は、はい」
「あれはどうみてオリコンが悪いですよ。うちのバンドはみんな応援していますから」
「は、は、はい、ありがとうございます!」

 現実が信じられなかった。NHKのテレビやJ−WAVEに出た時にだって、こんなことは起きなかった。

 そんなふうに、ぼくが自分のサイト「うがやジャーナル」に書いたり、「うがやテレビ」で発信し続けたSOSを聞いて「これはひどすぎる」と集まってくれた人がものすごくたくさんいる。

「はじめまして。私はオリコン裁判に非常に憤っている者です」と書いて、いきなり5万円をカンパしてくれた福岡県庁の職員の人がいた。

 顔も未だに知らない。ありがとう。

 記者クラブ系のテレビ局や新聞はほとんどこの裁判を報じなかった(ただし毎日新聞とTBSは例外)。が、ぼくは「情報が行き渡っていない」と感じることはなかった。

 民主主義リテラシーの高い層にはちゃんと自分の言いたいことは届いている。インターネットのおかげで。そう思っていた。

 オバマの大統領選挙は「初のインターネット大統領選挙」だったんだそうだ。

 オリコン裁判は「初のインターネット裁判支援活動」、しかも勝利した例として歴史に残るかもしれない。

これが15年前なら、オリコンのような大企業がフリーランス記者を訴訟でいじめ抜いても、どのメディアも報道したりはしなかっただろう。そして記者にもマスに発信する手段はない。悪は闇から闇へと葬られていたのだ。

インターネットは弱者の武器になる。何の権力もない民衆が、自分の手で民主主義を守るライフルになるかもしれない。

そんなことをいま、くたくたにしびれた頭でぼんやり考えている。
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時代はお笑い2.0へ! ヒトラー総統がクリスマスにお怒りのようですよ! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

y2bimages.jpg そーいやー最近テレビ全然見てへんなあ。

 ホンマ地上波なんかこの前見たのいつやろ? 思い出されへん。

 等々、猛暑に朦朧とする頭で横臥・放屁などしつつ思索しておりました。

 だいたいサラリーマン記者やって早朝から未明まで農奴労働していたころにゃ、定時にテレビの前におるなんてできるわけあらへん。カンチエッチしよもぼくは死にましぇんもレンタルビデオで見たもん。

 HDレコーダーなんて便利なもんが出たんで買ったはいいが、録画してまで見たい番組なんかまずないことに気付いてアフターフェスティバル。自慢じゃないが小学生だった30+x年前には「テレビジャンキー」とまで言われたわしが、なぜ?

 ああああわかった。YouTubeのせいだわ。い

 えね、最近MacBookを買ってキッチンテーブルに置いてるんですよ。それがネットにつながってるから、毎晩お笑い動画を見て毎晩笑い転げておる。

 浅越ゴエの「スーパーマリオブラザースのマリオさんが集めたコインを申告していなかったとして東京国税局に逮捕されました」て「しっくりこないニュース」シリーズとか、マッシュルームカット・銀縁メガネのブサイクなデブが「親の財産食いつぶす〜ちょろいぜ〜」と歌って行進、イタすぎるニート芸人「ガリガリガリクソン」とか、関西に住んでる妹が「これおもろいで」とYouTubeのURLをメールで送ってきよる。

 それだけじゃない。なんせとにかくキーワードぶち込んで検索すりゃたいていのモンは出てくる。

 先般崩御されしマイケル陛下のインタビュー番組も、英米でしか放送しなかったの、全部見たぞおれ(オプラ・ウインフリのインタビュー / 'Living with Michael Jackson'

 要するに「世界中よってたかって録画する巨大HDレコーダー」みたいなもんだわな。

「アメリカのどっかの田舎町食堂で椅子につまずいて転倒、ガラス窓を突き破って道路に転げ落ちるウエイトレス」なんて爆笑実画もある。

 いやあ、断言するが今の日本の地上波テレビでYouTubeよりオモロイ局なんてないね。

 しかもYouTubeは最近じゃどっかの無名お笑いクリエーターの作品発表の場になっとる。一人が傑作動画をアップすると、また誰かが対抗して同じネタでアップ。連歌ですな。

 最近私のお気に入りは「ヒトラー総統がお怒りのようです」シリーズだ。

 これ元は「ヒトラー最期の12日間」てマジメなドイツ映画、包囲され崩壊寸前のベルリンでヒトラーが将校たち相手にキレて怒鳴りまくる5分ほどにシーンに日本語字幕を勝手につけちゃうってバカバカしいシロモノ。

 「クリスマスについてお怒りのようです」って最高傑作じゃ「クリスマス中止命令」を出したのに無視されたモテない童貞ヒトラーが激怒するちゅう設定です。

「ドクオだって言ったヤツあれウソかよ!!」
「結局童貞はいつものキモオタメンバーだ!!」
「ニコ厨のくせにバーカ!!」
「揚げ句の果てはキモヲタだ引き籠りだと言われ気付いたらNEETの仲間入りだ!」

 とまあ、ドイツ第三帝国独裁者がアキバ系社会落後者みたいな情けない話しとる。

 おまけに

「お前らだいっキライだ〜!」
「畜生め〜!」
「おっぱいぷる〜んぷるん」

とか、意味不明の字幕もホントにヒトラーが日本語でそう言っているような空耳が。まあ見て。ホントに笑えるから。2万8531回も再生されているから、DVDならけっこうなヒットだぞ。

 あまりによくできているので「ヒトラー総統ドラえもんについて語る」「コミケに必死なヒトラー」とか「総統アンパンマンを語る」とまあ、一体どこのヒマなやつがこんなにイカれたこと考えとるんじゃというくらい、どかどか爆笑作品がアップされとる。

「ヒトラーが松岡修造だったら」(暑苦しい)とか「ヒトラー総統が地デジ大使(そうです。『ハダカで何が悪い!』の名せりふで有名なアノ方です)にお怒りのようです」とかも笑えますぜ〜。

「総統は金融危機にお怒りのようです」ってけっこうインテリな作品もあるんだが、金融用語が高度すぎてアクセス数はいまいち伸びない。ははははは。

 これだけよくできた動画がみんな作者不詳なんだからすごい。

 大多数の無名の人たちの中に、こんなにユーモアのセンスがあるヤツがいるなんて、やってみないと分からないもんだね。

 お笑いも少数エリートの「芸人」とか「放送作家」が独占できる時代じゃねーな、こりゃ。だって、こっちの方がおもしろいんだもん。

(今回はブログにしてみんなに感謝されますな。リンク張りまくりや。下のがオリジナルね。YouTubeがおもしろすぎて思わずこっちも買ってしまった)





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